沖縄の本土復帰:いとしきもの

2010/4/13

沖縄の本土復帰

二十余年の悲願祖国に帰る日の近きを思いて暁雲さわやか(第一首)
「祖国復帰」とは日本の戦前へ還るのかと疑いてみる状況としる(第二首)
白日のもとに毒ガス運びをり隠したるも隠しおほせず(第三首)
毒ガスを運ぶ道路に家あれど夫子(つまこ)なければ逃げじと媼(第四首)
沖縄の怒りを我は伝えんにうたわんとして我に言葉なし(第五首)
祖国復帰反対の垂幕大きくゆれる秋風すずしくわが頬をよぎる(第六首)
日本は祖国にあらずと言いたりき島人の声耳をえぐりき(第七首)
還り来し沖縄島よ戦友を殺しし武器を核を抱きて(第八首)

昭和萬葉集16巻。万博の日本 沖縄の本土復帰の区分にあった短歌である 第二次世界大

戦が世界に与えた影響は計り知れない。大学のある先生が貯まりすぎた兵器を消耗するた

めに戦争が起こると講義の脱線話で話したのを思い出した。兵器を使う是非もその時代を反

映する。米国は建国以来銃を外部に向けてきた。しかし、その銃を無差別に国民に向ける兵

士が出る時代になった。テロ以上の危険な信号が発信されている。外部はフロンティアで国

境のない原住民の母なる大地であった。オリンピックでは形の上で原住民をたてる。それは

過去の償いのように見える。生きるか死ぬかの戦いの現場では自己のアイデンティティなど

考えるユトリがない。しかし、長い時間戦いが無ければ自己のアイデンティティを求めるゆとり

もできる。そんな場合、絶対的な自己のアイデンティティの規定は可能なのか。個人も地方も

国も過去の歴史を引きずっている。祖国、母国、本土云々。ともかく人間が国という人間組織

を形成し、認識してからまだ数千年しかたっていないようだ。地球が国家という架空の境界で

分断されてしまった。その国家も生まれたり死んだりしている。沖縄も日本もアメリカすらその

歴史の運動から逃れられない。国家間の密約は常に問題になる。為政者はどのような覚悟

で密約を締結するのか。それは歴史家が解明する以外にない。現実の世界の変動の方が

遙かに早い。しかし、その歴史の一瞬を生きている個々の人間にとっては自分も歴史の流れ

を変える微少なベクトルの一つであると感じる一瞬があるのではないか。自分が目に留めて

上に引用した歌はすべて別の人の作品である。冷厳な歴史を体験してそれを歌に焼き付け

ている。作者の歌を詠んだ意図とは別に後世へのメッセージのようにも思える。歌の外に本

当に言いたいことが山ほどあるのではないか。沖縄の本土復帰という歴史的転換点があっ

たが、同時に変わらないで引き続いて残ったのが基地であった。沖縄の基地を完全撤去す

るには日本本土の基地を完全撤去しなければならない。政治家はそういう覚悟を腹に据えて

いるのか。ともかく兵器は使っていなければ錆びてしまう。錆びるのはハードだけでなくソフト

も同じだろう。日々、本物の兵器を使い訓練に励む。これが世界の現実なのかもしれない。

しかし、そんな馬鹿なことを今後千年も続ける事もないだろう。一時の平和をちょっとでも先

に延ばしてハードだけでなくソフトの兵器を少しずつ錆びさせてゆく以外にないのかもしれな

い。