2010/4/3
くろいもの
悲痛な 革命の日の 想念よ。赤い燐寸(マッチ)の軸が 折れてゐる。
およそ くろいものほど ひかる。いましめられる 非常時の なにとない をののき
昭和萬葉集3巻。戦争の足音 憂鬱な時代の区分にあった短歌である。短歌の形式を破っ
ている。前の一首には句読点が二つある。後の一首の後段には句読点が無い。ここに作者
の心情が現れているのか。物事に守破離という段階があると学んだことがある。歌を詠むの
に指折り音数を数える。形式は守っても空疎な内容になってしまうのが凡人。形式は破って
も内容を盛り込む。そこに破の真髄があるのか。よく見ると語間に空白が埋め込まれてい
る。そこに単語一つ一つを必死に探して掘り上げようとしている作者の息づかいを感じる。作
者は理論物理学者の石原純であった。科学者、研究者として学界から去ったが、尚在野で
著作活動等を続けた。そうして、歌人としても活躍した。この二首を読むと時代の雰囲気だけ
ではなく、作者の人生の足取りまで、何重にも感じさせれてしまう。赤は革命を連想させる。
学者が恋に投じることはまさに精神の革命に思えてしまう。それは、その結末は世間では挫
折であるかに思われようが、成功する革命こそ極まれな事ではないか。折れてゐるという一
語にも万感の情が漂う。一方、実社会では二・二六事件が昭和11年に起きた。丁度、自分
の父が成人になる頃であった。この歌はその後に作られているようだ。作者はそれを一種の
革命と重ねているのであろうか。クーデターは鎮圧された。自分の人生とも重ねる。「およそ
くろいものほど ひかる。」何気なく逆説的表現かなと感じたが、物理学を学んで黒体放射
(black body radiation)というの習った事を思い出した。物体はその温度に応じて光(電磁
波)を放出する。黒体が最も理想的な発光体であるという事実を歌人としてさりげなく述べて
いるようだが、その意味する所は深長であるように思える。逆説のようではあるがこれが真
理なのだ。しかし、黒と言ってもその仮想の物体は灼熱の温度に達した時に光って見えるの
だ。後の一首の前段。自然の法則としては真理だが、その法則は社会を照らさない。いや、
今がその時かも知れない。自然の法則を詠いながら、社会の不条理をさらりと述べる。後の
一首の後段は社会のなかで、おろおろとしているがとらえどころない人々の恐怖の心情を詠
うかのようだ。そこに句読点が無い。ここに作者の心情は離に達しているように見える。希望
なのか諦めなのか。自分の心情を通して何かを諫めようとしているのか。当然、作者がいま
しめられる訳でもないと思う。人間の避けることのできない本性を突き放して詠っているようで
もある。エートスとパトス、理と情の調和が理想だ。しかし、そこには常に葛藤が生じている。
たったの二首であるが、この歌は石原純というプリズムを通すことによりより深い味わいがで
るようだ。