伊勢崎駅旧駅舎の保存:いとしきもの

2010/5/31

愛しき古里:伊勢崎駅旧駅舎の保存

■ふるさとの 山に向かて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな
■ふるさとの なまりなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く

石川啄木の歌集『一握の砂』(明治43年)に納められた歌である。

ふるさとを詠んだ歌の中でも忘れがたい歌であろう。百年以上前の歌であるが古さを感じさ

せない。ふるさととは母親が子供を愛おしむ如くにその地を愛おしむ者を無条件に受け入れ

てくれる。両毛線が開通したのが明治22年で、啄木の『一握の砂』より更に二十年ほど遡

る。開通当時の駅の様子は皆目分からない。多分、質素な駅舎であったと思われる。現存す

る木造二階建ての洋風駅舎が建てられたのが昭和9年との事である。母が若い頃の話をす

ると必ず出てきたのが兵隊さん送りの光景であった。この伊勢崎駅から多くの兵隊さんが戦

地へ旅立ったのだ。時期的には新築された木造駅舎が供用された頃の前後に当たると思わ

れる。この立派な駅から、万歳の声に送られた兵隊さんの気持ちを聞くことも今では難しくな

った。一方、終戦後は伊勢崎駅から新婚旅行に旅立ったカップルもいるだろう。自分も、学

生時代とサラリーマン時代はこの伊勢崎駅にお世話になった。産業・生産品・物資の輸送、

通勤、通学、観光、所用等でこの駅舎も伊勢崎の顔になってきたのである。伊勢崎駅の高架

化工事も完成して、平成22年5月30日に駅で式典が行われ供用開始となった。長い歴史の

中で鉄道の駅の果たす役割は変わっていない。むしろ、今後の環境と高齢化の時代になる

と再度鉄道とそれを取り巻く地域とのつながりの重要性が見直されるに違いない。伊勢崎駅

の開業から今日までの、のべ利用者数は概算で数千万人から一億人程度にはなるであろ

う。この駅にまつわる記憶はその何倍になるか計り知れない。かつて、伊勢崎市は華蔵寺公

園内に退役した蒸気機関車を展示・保管してきた。これだけでも産業や鉄道の歴史と交通の

重要性を市民に訴えて、子供達に夢を与えてきた事であろう。今年になって、この蒸気機関

車が修復され現役に復帰する為JRに返還された。これにより、伊勢崎市により展示・保管さ

れてきた蒸気機関車は更に大きな役割を担うことになる。伊勢崎市民はこの事に大きな誇り

を持ってよいだろう。ところで、このように多くの人々の記憶に残り、伊勢崎の繁栄を支えてき

た旧駅舎が解体されると言う情報がある。保存を訴えて活動している人もいる。自分も旧伊

勢崎駅駅舎の解体処分は絶対に避けるべきだと思う。たとえ解体しても、いずれの日か再び

往時の姿を取り戻せるように保管する必要があるのではないか。旧伊勢崎駅駅舎はかつて

の伊勢崎市の顔として、また将来の伊勢崎市の顔としても保存する価値が十分にある。理想

を言えば駅と同じ様な機能を持つ公共の施設として利用しつつ保存するのが最適であろう。

いずれの日か、今後現役復帰するあの蒸気機関車が再度退役した時、この旧駅舎と一緒に

並んで伊勢崎市のシンボルになって欲しいと夢見ている。気の長い話ではあるが人生寿命

百年の時代を迎えている現在、少なくとも百年先の夢を見ても罪はなかろう。自分たちの次

世代はその時代を生きるのである。旧伊勢崎駅駅舎の保存は現世代から次世代へ引き継

ぐ贈り物でありメッセージでもある。歴史的遺産は捨てたが最後である。それを取り戻すのは

永久に不可能になる。