2010/8/31
雑草句録:古本屋
■古本屋客惜しみ来る店仕舞い
たまに足を運んでいた書肆 いいだやさんが今年の8月末で店頭販売を終了すると上毛新聞が伝えていた。古書というと、相当古く値段も高くマニア向けのような印象も受ける。古本というと新本との関係から中古車のようなイメージがあり、自分も古本をそのように利用する事が多かった。しかし、本の中身はそれこそ多様である。本の価値は、新しい・古いというだけで決まるのではなくその内容がものをいう。
店主も客と本の仲を取り持つ仕事に生き甲斐を感じて三十年間書店を続けてきたが、後継者がいないので元気な内に区切りをつけることにしたらしい。店主として、開店の理想を忘れずにそれを維持することは大変であったろうと思う。ともかく、当世売れ筋の一般書やマンガ類より、渋い一癖ありそうな人を対象にする品揃えであった。いいだやさんは地域の文人の書画も扱っているが、その分野はゆとりもなく自分とほとんど関係がなかった。目録冊子の「裏木戸」掲載の写真は拝見させて貰っていた。自分も気ままな地域の歴史書・文献探し等ではお世話になった。こういう本・文献類は、新本でも一般の書店に並ぶことはほとんど無い。並んだとしても売れる可能性は限りなく小さい。時には予期せぬ本に巡り会える幸運は無上の物だ。いま思えば、これも店主の鑑識眼のおかげだったのだろう。
昨日は閉店の前日なので、これが最後だろうと出向いてみた。同じような人もいるのであろう、来客はいつもより多い感じで、次々に来て、ねぎらいの声をかけている人もいた。店の片隅で本を探しているとよろしかったらと、ペットボトルのお茶を頂いた。感謝。自分でも読むか読まないかはっきりしないが、自分のところにあればなんとか生き延びそうな本も、大幅な感謝価格に背を押されて何冊か買い込んだ。本を買ったままつんどくだけで、場所ふさぎだと叱られる恐妻家も多いのではないかと思う。お父さんが死んだら最初に本を処分するからと既に宣告されているのではあるが。