稲穂:いとしきもの

2010/9/28

雑草句録:稲穂

■稲穂垂れ水当番は立ち往生

■ぬかる田の我田断水大騒ぎ

この句も水利の水当番の思い出である。稲穂が垂れ下がる頃は、田んぼの水が不要になるので早く水を切ってくれという農家がある一方、我が家の稲はまだ水が必要だから水を切らないでくれという要望もあると水当番は立ち往生してしまう。

我田引水だけでなく我田断水もあった。これは、田んぼの乾湿という性質と稲の育ち具合が農家それぞれ違うので現在でも起こっている問題だ。最適な水管理をしようとするとそういう問題が起こるが、あまり関係ないだろうと思えばそれまでだ。湿田だと早く水を切らなくては、収穫期になっても機械が泥に沈んで作業が出来なくなる心配があるのだ。自分では稲作をしていないので水当番になって始めて知った事だった。

追記:波志江沼環境ふれあい公園についてまとめてみた(下記サイト内リンク参照)。灌漑用に使われた沼と周辺が整備されて公園に発展した例は、新設の公園を除けば相当多いのではないか。華蔵寺公園も華蔵寺沼との関係が深いであろう。現在の遊園地の前は確か野球場であったと思う。そのような施設がない頃は、沼の周辺の散策や花見が住民の娯楽であったと思う。ともかく、昔の人々は生活の中で水の有り難さを身に沁みて感じていただろう。ところが、その水が現在ではややもすると厄介者になるほどだ。水道も下水も地下にもぐって見えない。水利の水当番をしても、稲作で不可欠の用水路も一部は地下にもぐり、どこから水が流れてくるのか分からない位であり面目ないのが現実だ。外界も体内も水が循環して生命を支えているのであるが、それを無意識の内に体感することが出来なくなったのが現代かもしれない。波志江沼のように面積が広く、大量の水を蓄えた池沼を見るだけでも、水の有難味を体感し、気分をリフレッシュっせてくれるのではないか。人間は自然の一部であるが、時にはその自然さえ破壊して生きている。波志江沼環境ふれあい公園が環境を考え、人間回復の機会となる事を願う。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/HASHIE_NUMA.html