眼科:いとしきもの

2010/9/30

雑草句録:眼科//

■いや眩し快晴の秋眼科出る

瞳孔を開いて眼底検査をした時の作品である。検査が終わって、外に出ると空は秋の快晴で外界は光に満ちていた。その明るさは異常で、空に吸い取られてしまいそうに感じた。ともかく、全面均一の明るさは自分の影を作らないが、自分の影をみるゆとりはなかった。

自分には臨死体験は無いが、なにか一瞬重力が無くなったような感じだった。足元に影が出来るのも重力イメージの形成に寄与しているかもしれない。いつもなら明るさに合わせて瞳孔の開き具合が調整されているので脳は大体同じ大きさの刺激を受けるのだろう。薬剤で瞳孔を開いてしまうと、普段より多くの神経パルスが脳に送られて、脳も記憶の書き換えを強制的にするのではないか。

脳死判定に瞳孔反応があったように思う。調べると、その基準は、(3)瞳孔:瞳孔固定し、瞳孔径は左右とも4 mm以上とあった。臨死体験で見るのは、この瞳孔拡大の時の光景なのか。臨死体験とは死の川を渡る寸前に引き返した時に起こるようだ。脳の働きが弱まり瞳孔がどんどん開くが、何らかの理由でまた脳の働きが復活して瞳孔が機能し始めると、異様な光景を見たという記憶が残るのではないか。やはり、臨死体験はそう頻繁には起こりそうもないが。

追記:生還した人が臨死体験を語れるためにはその体験の記憶の痕跡が残っていて、それを体験者が読み出せるからであろう。ある現象を記憶に固定する過程も実に多くの物質の運動に帰着する現象・事実の連鎖からなるのであろう。そんなことを考えていると、最近のフロッピーデータ改竄事件を思い出した。パソコンにフロッピーディスクが標準搭載されるようになったのがDISK OPERATING SYSTEM(DOS)が普及してからであろう。日付の方はDOSに管理を任せているから、一般のソフトでは日付が書かれた部分の修正はできない。従ってその日付部分の修正の為には特別なソフトが必要となる。しかし、新聞に載った専門家の話によると、ソフト上は修正されて表示されるが、変更前のデータはDISK上からは完全に消去されずに残っているとのことである。その残り方も複雑なようだが、犯罪捜査となればそのような技術も使われるのだろうか。DNA鑑定も通常的な技術になっているのであろう。実用上は、ディスクからデータを完全に消す操作をしていたらパソコンの能力は十分生かせない。ソフト上でデータを消去するという事はディスク上の生データを消去するのとは違うらしい。ともかく、故障したHDDやFDからデータを救出するサービスも存在するようだ。願わくば、人間の記憶を復元する技術もあって欲しいが、それが実現すると不都合が生じる場合もあるのかもしれない。