2010/11/3
会社生活断面記:大阪の心(不思議地蔵)
大阪駐在を命じられて、泥縄式に<大阪学>に飛びついたような記憶がある。もう十数年前の事なのだが、その流れを汲んだのか群馬県でも県立女子大が<群馬学>の研究に乗り出そうとしているようだ。地域学というのは地域の特異性だけでは説明がつかないで、やはり歴史に踏み込む必要があるようだ。
駐在中に気になっていた駅前の祠のことがふと思い出された。大阪の会社の工場敷地内にも赤い鳥居がありお稲荷さんか何かが祀ってあるのには驚いた。確か、1986年に竣工された大阪ツインタワーの周辺施設にも赤い鳥居があったような記憶がある。この大阪ツインタワーで出張の待合いの時間に見たと思う。民家の屋敷内部にも小さな祠があるのを見た。そこに灯明が点っているので、やはり神仏が大阪人の生活の中にあるような感じがした。
その代表例が、大阪のあるJR駅前の小さなスペースに祭られていた祠であり、いつも線香の煙が漂っていたことも懐かしく思い出した。駐在の社宅の行き来に使う駅なのでその光景は何回も見ていたのだが、ついに手を合わせることは無かった。最近、インターネットで調べると、それが不思議地蔵と呼ばれて、地元の人に親しまれている事が分かった。
その紹介文は「不思議地蔵とは、何でも願い事が叶うところから名づけられたらしい。由来記によると、昭和二十七年に地元の女性の熱意で、天王寺の六大院から分身の付与をうけてこの地に奉られたとある。」と伝えている。確かに、それ程古いとは言えないかも知れないが、それが毎日大勢の人が通行する駅の一角にあるのだから上州人には不思議な光景に見えてしまったのである。「何でも願い事が叶うところから」といっても、いきなり大きな願い事ではなく、日々の小さな願い事が叶うように願っているから生活の中にそれが生きてくるのであろうか。大阪は商人の町であり、お上を信じるより、神仏を信じた方が合理的であったのだろうか。上州では神仏が生活のなかにあるのだろうかとふと思った。