2011/3/17
3/19の北関東自動車道の全線開通が間近に迫ってきたが、それを祝す雰囲気は完全に消失している。食料も燃料も逼迫している。それに加えて、冬型の寒い天気となっている。AMEDAS今朝6時の気温は-0.8℃。自然の力の前に人間の非力さを感じる。膨大なエネルギーを使えば自然さえ征服できるという傲慢な考えがしみついてしまったのが現代文明の一面かもしれない。自然の摂理に従い、困難を乗り切るという方向に舵をきる必要がありそうだ。
昨日の天気
TAVE= | 5.2 |
TMAX= | 10.1 |
TMIN= | 0.2 |
DIFF= | 9.9 |
WMAX= | 11 |
SUNS= | 8.3 |
RAIN= | 1 |
以下本題。
環境雑録:原子力事故と現代文明の脆弱性
東京電力福島原子力発電の事故は日増しに深刻さを増している。この悪夢の、前例は「東海村JCO臨界事故」(WIKIPEDIA:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85)でレビューできる。テレビで原子力工学の専門家が、事態の客観的な判断をするにもどのような核物質が放出されているかの情報開示が無いと、当局への情報開示を要請していた。危険だから待避せよという指示だけでは、待避に大きな負担を余儀なくされる市民は納得ができない。
核分裂反応/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)(最終更新 2011年3月13日 (日) 09:23 )(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%88%86%E8%A3%82%E5%8F%8D%E5%BF%9C)』によると、核分裂反応 について、「中性子を吸収したウラン235が、クリプトン92とバリウム141に分裂した例。この分裂の際、平均2 - 3個の高速中性子が放出される。この中性子が別のウラン235に再び吸収され、新たな核分裂反応を引き起こすことを核分裂連鎖反応という。この連鎖反応をゆっくりと進行させ、持続的にエネルギーを取り出すことに成功したのが原子炉である。一方、この連鎖反応を高速で進行させ、膨大なエネルギーを一瞬のうちに取り出すのが原子爆弾である。」と説明している。
東京電力福島原子力発電所の原発も地震当時一部は整備で停止中だったが、その他は稼働していた。地震でその稼働は停止したが、核燃料は燃え続けるられる状態にあったであろう。ともかく、今回の原発事故で、事態は刻々と悪い方向へ向かっているが、必要十分な情報がその情報を握る情報源から出てこないことに大きな不満といらだちがある。我が家でも、息子が心配して、小窓まで閉めていた。放射能は群馬県でも検出され群馬県のホームページにその情報があった。当局のデータの開示でも「直ちに健康に影響を与えるレベルではないと考えられる」と目先の事にしか言及しない、いわば責任逃れのような対応に終始しているのが実状である。
ネット上には色々な情報があるが、知りたい情報になかなかたどり着けない。そんななか、「原子力資料情報室」のサイト(http://www.cnic.jp/)に、『放射能ミニ知識』という記事があった。また、「原子力資料情報室」を運営してきた高木仁三郎についても記事(http://cnic.jp/takagi/)がある。その中の「年譜 高木仁三郎が歩いた道」を見ると、群馬県が生んだ科学者、平和運動家で原子力問題に一生を捧げたようだ。高木仁三郎/出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E4%BB%81%E4%B8%89%E9%83%8E)(最終更新 2011年3月2日 (水) 08:21 )』によると「高木 仁三郎(たかぎ じんざぶろう、1938年7月18日 - 2000年10月8日)は、日本の科学者であり、脱原子力運動の中心人物であった。」とある。
「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ(http://cnic.jp/takagi/words/tomohe.html)」で、高木仁三郎は「残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。」と述べている。
今日の福島原発事故がどのような経過をたどるか予断を許さないが、被害が最小になるように解決されるよう願うばかりである。高木仁三郎が最後のメッセージで訴えてから10年余後に今回の事故が発生してしまった。東北関東大震災からの復興にも電力や石油が不可欠である。原子力の危険を根本から断つには今日の文明自体の改質が迫られる。その原点になるのは、過去の歴史を学び、その教訓を生かし、一人一人が意識を変えて行く以外にないのだろう。