日々農天気:古本の紙魚(シミ)穴からも何かがみえる

2011/5/30
台風2号の影響で不安定な天気が続いている。昨日の雨量は76㎜と多い。雨に任せて古本の修復をしてみた。

昨日の天気

TAVE= 17.8
TMAX= 19
TMIN= 16.5
DIFF= 2.5
WMAX= 3.7
SUNS= 0
RAIN= 76

日々農天気:古本の紙魚(シミ)穴からも何かがみえる
Furuhon_syuufuku

部屋を整理していたら古本が出てきた。自分にとっては本当に古本らしい古本だ。安いので古本の見本として買った。なぜ安かったか。内容は探せば良本が幾らもある。ばらけて体裁も良くない。本日、これ何の穴とよく調べたら紙魚が食った穴まであった。孟子の巻の一部が載っている。本の末尾の年代を見ると安政己未とある。調べると「1859年:安政 6年 孝明天皇 己未 つちのと ひつじ とあった。ほぼ150年前の和綴じの本だ。綴じ糸がほどけてばらけそうになっていた。雨に任せてこの本を修復した。和綴じの本は21世紀の環境問題の対策にぴったりのリユース可能な作りであった。150年前の当地では、川端宇兵衛翁が八幡沼を開鑿していた時代である。自分の関心とつながる部分がある。跋文に「二本松教授山田徴」の名前が見える。「二本松」とは福島県の二本松藩の事か。それなら、山田徴教授は二本松藩の藩儒だったのだろうかと想像がふくらむ。厚布用の針と白の木綿糸で、できるだけ元の糸を真似て同じようになるようとじた。ついでに表紙を付けてみた。漢文なので読み下しが大変だがページをめくって見た。文字が大きく、同じ文字でも一つ一つ微妙に異なっているので、木版のようだ。ペラペラとめくると、君子や仁とか人間に関す語彙が多く出てくる。WIKIPEDIAによると春秋戦国時代は「春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。」とある。ともかく、孟子は国中が戦乱等で乱れた約2300年前の中国で自分の理想を説いて全国を巡ったようだ。
短くて分かりそうな部分を探したら以下の一文があった。
「孟子曰 諸侯之寶三土地人民政事 寶珠玉者殃必及身。」:「孟子曰く 諸侯之寶は三つ、即ち土地・人民・政事なり。寶が珠玉なる者に、殃(災い)必ず及身すべし。」漢文を日本語配列に読み替えるのは大変だ。一直線に読むのが理想だろう。孟子は今日では政策コンサルタントのような人物だったようだ。諸侯とは天子から支配を許された地方の有力な支配者。支配は今日で言えば統治。統治の基本は「土地(地方)とそこに住む人民(住民)と政事(政治)ですよ。寶が珠玉(奢侈、私利私欲)であるような者には、殃(災い)が必ず身に及びますよ。」と言うような考えを地方の長官に売り込んでも採用されないのが当然だったのかもしれない。そこで孟子は、コンサルを止めて、先生となって、広く自説を一般人に説いた。その弟子が孟子先生の言行を記したのが「孟子」であるようだ。今日風にタイトルを付ければ「孟子先生言行録」。ところで、今日の日本の状況が何と約2300年前の中国の状況に似ていることか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:「うから」

歌題=「うから」:

■知覧特攻基地に 設計したる 「隼」と 出遭ひし夫の 上ずりし声 41 齋藤 和江

女性は大抵技術の世界に疎いが、この歌は技術者の夫の心情を的確に捉えた。