読みかじりの記:新・日本イソップ物語 一科学者の提言 江崎玲於奈 著 (1978年 日刊工業新聞社)

2011/6/10
昨日は25℃を越えて暑かった。相変わらず草むしり。雑草対策で密植しているので手作業。熱中症が気になり、温度計を見やすいところにつるした。東京電力福島原発事故による放射能汚染水対策が難航してしているようで気になる。放射性物質も相当広範囲に拡散しているようだ。本来ならば政府は天気図のような広域の放射性物質濃度マップを作り公表すべきではないか。これを公表できない所に政府の弱腰がみえる。自分の住んでいる場所はデータが無いから安心とは妄想でしかないと思うのだが。可視化、定量化は何事をするにも重要な手法だ。その逆が隠蔽化手法で当局が最も得意な技術だ。

昨日の天気

TAVE= 22.1
TMAX= 25.9
TMIN= 18.9
DIFF= 7
WMAX= 2.6
SUNS= 3.1
RAIN= 1.5

読みかじりの記:新・日本イソップ物語 一科学者の提言 江崎玲於奈 著 (1978年 日刊工業新聞社)

本書は副題の方が本の中身を理解しやすい。それでは、なぜ「新・日本イソップ物語」なのか。著者が例のエサキダイオードのトンネル現象の発見でノーベル賞を受賞したのが昭和48(1973)年であり、それから5年後の出版である。昭和35(1960)年に渡米しており、アメリカでの生活が長い。偶然かどうかは定かでないが、自分の卒研のテーマが、エサキダイオードを使用したDC-ACインバータの変換効率というもの。エサキダイオードにはなじみがあった。そんな訳で、運良く古書店で出会ったので手にした一冊だ。

「新・日本イソップ物語」が、開巻の最初の題であり、この部分が本書を代表していると思う。著者が引用しているのが本物のイソップ物語のオオカミ少年の話。オオカミが来たと助けを求めても、以前に同じ嘘を言った人間は信用されない。これは世界共通であろう。ところが、日本では、○○が来た、大変だ助けてくれと言うべき立場でもない人が言い、その関係者が○○という危機を追い払う事が平気でまかり通っていると著者は指摘している。それで、国内の課題が解決できたとしても、世界では通用しない。このように、欧米のグローバルスタンダードと日本のローカルスタンダードの不一致は本書全体に共通するテーマとなっている。

「新・日本イソップ物語」の一例は「日本は資源に乏しい貧しい小さな国」という固定観念。こういう固定的な強迫観念に自分たちを追い込まないと何事もできない。また、お互い腹で通じ合えて事が済めばそれで良いという日本的なメンタリティもオオカミ少年的な態度も世界では通用しない。そいう態度は国際性の無さにも通じる。本書は米国や西欧から見た日本の特異性論からもっと日本を良くしようという提言と見える。

東日本大震災は未曾有の危機である。そこで、頑張らないあきらめないというスローガンガ一定の支持を受けていたが、一斉に頑張ろう日本の大合唱になった。どうも日本人は背中にダイナマイトを背負ったような切迫感に自分たちを追い込まないと気が済まないらしい。本書には、教育、科学、技術、個性、独創性等への提言も多い。日本でも企業の研究者からノーベル賞受賞者が出てきた。

著者は科学的にはトンネル現象の発見、技術的にはトンネルダイオードの発明というように科学と技術は同じ事が異なる側面を持つゆえ、科学と技術の交流が重要だと指摘する。また、著者は日本は内部からの刺激が乏しい民族であると述べている。これを打破するには科学と技術の交流が必要だと述べている。自分なりにはこれは科学と技術の縄張りや利権が固定しているように見えてしまう。日本の科学者・技術者は自分のたこつぼにこもってしまう。このような性質は直ぐには変わらないだろうが時代の動きは早い。良い方に変わるのだろうか。若年層の理工離れが止まらないようだ。男性がダメなら女性が理工分野へ進出すべきではないか。かつて、企業の女性はお茶くみや単純作業が多かった。女性の教育レベルも向上した。女性の理工分野への進出意欲は高まっているのか。議論が保育、育児のレベルに留まっている日本はやがて衰退せざるをえないのか。

30年以上前に著者が指摘していた事の多くが現在の日本に依然あてはまっているようでもある。しかし、地球が余りにも小さくなってしまい、国際社会の中で孤立するわけには行かなくなっているのも現実だ。日本という国も国民も世界の中で自己主張が出来るアイデンティティの確立が必要なのだろう。尚、本書は日刊工業新聞社のサイトで検索したがヒットはなしで、絶版になっているかもしれない。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:多羅葉樹の下

歌題=多羅葉樹の下:

■黄の花殻 下土埋めて 常暗き 多羅葉の木下は 仄明りする 82 八田 政子

調べると多羅葉樹はインド原産の高木。作者はこの木と共に生きてこの歌ができたようだ。