老人の寝言:時間切れという最悪の玉砕シナリオに突き進む愚挙を避けよ

2011/6/1
昨日は晴れ間があり、ラジオで国会中継を危機ながら外で仕事。福島原発事故の原因解明も今ひとつ迫力に欠ける感じだ。忍冬の香りがしてきた。蚊も出てきた。

昨日の天気

TAVE= 16.7
TMAX= 20.6
TMIN= 12.3
DIFF= 8.3
WMAX= 5.7
SUNS= 5.8
RAIN= 0

老人の寝言:時間切れという最悪の玉砕シナリオに突き進む愚挙を避けよ

電卓にプログラム機能を付けるとその用途が格段に広がる。特に、計算尺を使ってきた技術者としてはプログラム機能付き関数電卓は羨望の的であった。とうとうhp社の磁気カードメモリーが使えるきのプログラム機能付き関数電卓を買った。その磁気カードに宇宙船ゲームのようなものが入っていて、そのゲームで遊んでいた事を思い出した。宇宙船は有限の燃料しか運べないので、その燃料が尽きない内にミッションを遂行しなければならない。そんな状況をゲームに仕立てたので、かなり具体的なイメージを描けた。要するに、無駄に燃料を使わずにという条件で、ミッションを果たし、地球に帰還しなければならない。そんな、場面を想像すると、当時のLED表示の電卓でも意外な現実感を味わえた。そのような宇宙船ゲームと同じような構造を持つのが福島原発事故の収束というミッションではないか。当然、福島原発事故の収束というミッションにも宇宙船ゲームの船長に相当する指揮官がいるはずだ。しかし、それが霧の中で見えない。船長がミッションを忘れて、別の目標を追求しているのではないかと疑うような状況が見えかくれしてしまう。その行き着く先はタイムオーバーという玉砕ではないか。

毎日JPは、「東日本大震災:東電2社員・250ミリシーベルト超 甘い対策、現場悲鳴;url=http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110531ddm041040136000c.html(毎日新聞 2011年5月31日 東京朝刊))」というタイトルで、「東京電力福島第1原子力発電所で復旧作業にあたっている東電社員2人が、緊急時の上限250ミリシーベルトを超える被ばくをしていた疑いが強まった。しかも、放射性物質を体内に取り込む「内部被ばく」が大半とされる。取材に応じた作業員らの証言からは、現場の汚染がひどく、対策が追いついていない実態が浮かぶ。労災問題の専門家は「このままでは健康被害が深刻化する」と警告している。」と報じた。

福島原発事故で、地震発生からベントの実施までの放射能強度データが意識的に隠蔽されていたのではないかという疑惑を感じる人が多いのではないか。しかし、福島原発事故現場は放射能というカーテンで隠されている。原子炉が五重の壁で守られているというのが原子炉の安全性を一般人を納得させるための口上であったが、メルトダウンが公になってからその口上が聞かれない。原子力発電所の煙突は何の役割をするのか常々疑問であったが、ベントを実施した時に放射能を含んだ高圧蒸気を逃がすための装置なのだろうと最近思っている。東京電力のホームページを見ると「ふくいちライブカメラ」がその煙突を写している。ライブカメラの映像は余り変わっていないように見えるが、原発内部で何が進んでいるのか。

原子力発電所で働いていた大量の内部被曝を受けた作業員はマスクの着用をしていなかったと言われている。放射能が放出されるベント後はマスク着用は当然であろう。ベント以前に内部被曝を受けていたとすると、既に地震で五重の壁が破られ、放射能がプラント内に拡散していた事にならないか。地震だけで、津波は無くても放射能漏れを起こす危険を無視できない。このような条件は全ての原発に共通する事だが、全原発への飛び火を怖れてか、問題として浮上していないのが気になる。

原子力発電所で一人前の仕事が出来るまでには、10年程度の経験が必要であるようだ。福島原発事故現場で働く要員には、被曝の上限がある。その上限を越えて、現場の作業を続行させる事は人道上も出来ない。事故の収束作業に手間取ると、技術や経験を持つ要員が次々に欠けてくる。そうなれば、仕事の精度もスピードも落ちてくる。その行き着く先は、要員不足による玉砕にならないか。同時に、濃度の高い放射能汚染水も、その循環処理がや収容設備がうまく進まないと時間切れとなる。原発事故の収束にはいくつものクリティカルパスがある。何が最短のクリティカルパスか不明であるが、最短のクリティカルパスから、事態は急変するだろう。やはり、原発事故の収束には、全体が見える司令官が必要なのではないか。

以下本題。

かみつけ女流歌人 雅:夫逝きて

歌題=夫逝きて:

■入彼岸に 迷ひ来し猫は 他界より 夫の送れる 遣ひなるらむ 95 宮澤 奈加枝

生死は分かち難く、迷い猫さえ何かの縁でつながっているようだ。