老人の寝言:政治家は空気を読まずに、民意という風向きに向き合え

2011/7/9
昨日も暑かった。最高気温(℃)=34.5 (14:02)。相変わらず除草や灌水。関東以南は梅雨明けしたとのニュースがあった。関東も梅雨明け直前のようだ。空梅雨の気配。この暑さの上に、やらせメール云々と歓迎できないニュースが目白押し。これが、日本の暑い夏に重なると、節電どころではなくなる。自衛のため、頭を冷却しないとやっていけない。気付くと、ムクゲが満開になっていた。ムクゲは毎日咲いているようだが、一日花だったとおもう。ムクゲの花を見て感慨を覚える政治家は日本にはいないかもしれない。しかし、暑い夏の間咲き続けるムクゲの根性は見習うべきでもある。毎日咲ききるというのも良い心がけだ。花言葉:引田茂(保育社)によると、むくげの花ことばは、「説きすすめ」、「デリケートな美」。トップリーダーに引導を渡すときに添える花にぴったりではないか。

昨日の天気

TAVE= 28.8
TMAX= 33.6
TMIN= 24.4
DIFF= 9.2
WMAX= 3.6
SUNS= 5.3
RAIN= 2

老人の寝言:政治家は空気を読まずに、民意という風向きに向き合え

自然の法則はすべてがエネルギーの低い安定状態に向かうと教えているようだ。そういう究極的な状態ではすべての運動が不規則で結果としては何事も生み出せない。物や人間が集まるのもそこに何らかの力が働くから。その力が弱くなると集団はばらばらになる。最近の内閣の動きはそんな終局的な状況にあるように見える。閣僚もそんな内閣に留まるならば泥船に乗っているのも同然と内々脱出の下準備を始めたかにみえる。

しかし、道理は通さなければならないという都合の悪い倫理則が幸いにも現実世界を支配している。この倫理則は法律以前の行動規範となるので無碍に無視できない。結果がどちらに倒れるかは一種の博打で、100%同じ事に運をかけるとその後が続かない。結局、こういう場合はこうする、ああいう場合はああするとどちらに倒れてもつじつまが合うような行動や言動をする。これは政治力学では重要なのかもしれない。しかし、多勢に乗って流れるだけでは政治家は失格ではないか。お互い顔色を見て、腹を探り合っているような手法は既に時代遅れではないか。政治家が空気ばかり読んでいては、完全な根無し草になってしまう。ともかく、本音を隠しすぎると馬鹿と思われる。本音をずばりと言うとすぐ次の手を打たれる。幼稚なジャンケンゲームのようなレベルで時間を無駄に使っている。

3月11日の東北関東大震災以来間もなく4ヶ月になるが、日本中を支配している停滞感・閉塞感は何が原因なのか。何か政治家の深層を支配しているもやもやとした霧が晴れていないのも一因だろう。さんすくみで何をやってもだめだという思い込みもあるのだろう。しかし、そう言うところに光を当てて行動できるのが本当の政治家ではないか。群馬県にはかつて風見鶏と言われた元首相がいる。風見鶏とは高い所に止まって風の方向を示す。当世の政治家は何見鶏なのか。顔見鶏なのか。お互い顔色だけを見ていては風向きすら分からなくなるだろう。腹を見たり、顔をみたり、それも民意どころか、仲間内の範囲もまともに見ていない。政治家に空気を読んで行動せよ等とは誰もいわないだろう。しかし、風向きは確実につかめるものだ。政治家は何を見てどちらを向いているか位は高々と示してもらいたい。

ざっそう句:七夕

■七夕や汗かくのみで過ぎにけり