2011/10/21
昨日は曇り。区の行事に参加。その後タマリュウ改植の続き。タマリュウとその他の雑草を一緒にごそりと堀上げる。堀上げた物を裏側から見るとドクダミの根の張り具合が分かる。土を落としてタマリュウを分離する。密集している根を分解するとランナーで繁殖している。それを1株毎に切り、数株まとめて植え直した。蚊は少なくなっているが、まだ活動しているものがいる。動きの少ない作業をしていると気になる。
2011/10/20の天気
TAVE= | 15.4 |
TMAX= | 19.1 |
TMIN= | 11.9 |
DIFF= | 7.2 |
WMAX= | 3.4 |
SUNS= | 0 |
RAIN= | 0 |
読みかじりの記:「キュウリのトゲはなぜ消えたのか ---サプライズな「野菜学」」 藤田 智 著 (2007年 株式会社学習研究社)
巻末の著者紹介によると著者は生活園芸及び野菜園芸学の教鞭をとっているとの事。副題が「サプライズな「野菜学」」なのだが、本題の方に先ず目を奪われて本書を手にした。「ナゼ」という疑問への回答はナイショ。ともかく農作物には人類の長い歴史が絡んでいる。農作物の原産地、原産地からの伝搬ルート、その経路途中での品種改良・品種の分化等の解明・解説は文明史にも通じる。日本では主食がコメで野菜は副食の地位に甘んじていたが、それはほとんど有史以来の事で、縄文時代、石器時代は何を食べていたのかと思う。自然の中の動植物を採取・捕獲して食料にしていた。それを、次第にヒトの管理下に置いてきた。さらにその管理品種の有用性を高めてきた。千年以上の間、科学的知識ではなく経験的知識で育種が行われてきた。遺伝学が実用化されて以来、科学的な育種が行われるようになった。そうして現在は遺伝子操作で育種が行われつつある。本書の話題も野菜の歴史やルーツの比率が高い。野菜の機能性、ビタミン、リコピンetcの発見や構造分析の歴史はせいぜい2~3百年しかない。特に野菜の機能性成分の研究史は極短いのではないか。そういう歴史をたどるだけでもサプライズは限りなくあるだろう。ともかく野菜は植物の家畜に相当する。ところがその家畜も現在では本物をみる機会は極少なくなっている。幸い野菜は生食の比率が高いのでその姿を見ることができる貴重な存在だ。しかし、一般消費者から見れば、生産現場も生産プロセスも直接見ることが困難になっているのは家畜と同じであろう。著者は「はじめに」で、「一人でも多くの人にやさいづくりの魅力を伝えたい」と述べている。本書をつまみ読みして、またヤサイに挑戦しようかとちょっと気持が動いた。「おわりに」でギャグお笑いを積極的に採用、つっこみが足りないだろうと述べている。確かにそのような点もあるが、人間、物を食べるのに頭で食べてしまう欠点がある。本書はその欠点を改良してくれるだろうか。ともかく野菜の魅力を伝えようとする熱意は伝わってきた。食の信頼性が揺らいでいるが、自分で作った野菜の信頼性は自分で分かる。野菜作りは「スローライフ」と、著者は「はじめに」で述べているが、本書はそこまで立ち入っていない。生鮮野菜を代用するジュースや錠剤に頼るのか、テマヒマかけて野菜を食べるのか。ビタミンがあるからヤサイを食べなさいが通用するのはその意味が分る年齢になってからだろう。それでは遅いのではないか。先日、もらった小松菜の根をつまんで除去し、包丁で2~3㎝に切って、軽く醤油もみにして食べたらみたら実に美味かった。ほんのり残る青臭さが青虫になった気分にさせる。かつて子育て用に作ったスローガンは「ヤサイ ヤマホド ウンチ モリモリ」であった。ヤサイを食べ・食べさせるにもウンチクが必要なようだ。