読みかじりの記:北京週報 1984・6・12号 (XX) 著 (1984年 (XX)社)

2011/10/5
昨日は晴れ。秋らしい澄んだ空だった。最低気温が10℃以下となった。ポット灌水。ジャングル畑で下草刈りの続き。時間感覚が1.5H 位狂った。思ったより時間が早く進んでいた。仕事が進まない。柿をとって丸かじり。色も甘みも一歩進んだ感じだ。鎌が地面の石に当たって火花が出た。日没の時間も早まった。本日乾燥注意報が出ていたが、「平成23年10月 4日21時37分 前橋地方気象台発表 群馬県の注意警戒事項 注意報を解除します。伊勢崎市  [解除]乾燥注意報」と気象庁HPに出ていた。三台ある湿度計が、20、40、60%台とバラバラの値でどれが正しいか分からない。

2011/10/4の天気

TAVE= 16.2
TMAX= 22.6
TMIN= 9.7
DIFF= 12.9
WMAX= 3.6
SUNS= 11.2
RAIN= 0

最低気温(℃)  9.5  04:14
最高気温(℃)  23.4  13:4

読みかじりの記:北京週報 1984・6・12号 (XX) 著 (1984年 (XX)社)

表紙に「中国で出版の週刊誌」とある。1984・6・12号である。出版人は裏表紙の広告写真と重なり判読不能。WEBにある北京週報社の現在の住所は「中国北京市百万荘大街24号」。本書では「百万荘路二十四号」とあり、現在の北京週報社の発行だろう。参考のため、現在の北京週報WEB版にアクセスすると、その冒頭に以下の記事が踊っていた(2011/10/2)。

北京週報 日本語版(url=http://japanese.beijingreview.com.cn/)は「「天宮1号」を打上げる任務が成功に完了 「天宮1号」が29日21時16分00秒、酒泉衛星発射センターから打ち上げられた。中国の酒泉衛星発射センターで、運搬ロケット長征2号Fが成功に目標飛行体「天宮1号」を宇宙に打上げた。天宮1号を打上げる任務が順調的に完成した。」と報じた。

更に調べると、「日本メディア、「天宮1号」打ち上げに注目;url=http://japanese.beijingreview.com.cn/ztjl/txt/2011-09/30/content_395350.htm(「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年9月30日)」というタイトルで、「29日夜に打ち上げられた「天宮1号」の打ち上げに、日本メディアは強い関心を示している。「毎日新聞」は、「天宮1号」の打ち上げ成功は、宇宙ステーション計画を国家発展戦略の重要プロジェクトに掲げる中国にとって、新たな段階を迎えたことを意味すると伝えた。また、中国が独自開発した「天宮1号」は、宇宙開発分野での影響力を強める助けをすると見ている。報道によると、一国が単独で宇宙ステーションを開発すれば多額の費用がかかり、過去の前例を見ると、旧ソ連が1971年、米国が1973年に成功させただけである。現在の国際宇宙ステーションは日本、米国、ロシアなど15カ国が共同開発、使用している。ところが、中国は独自開発という道を選んだ。」と報じた。

北京週報によれば、「10月1日は中華人民共和国の建国記念日にあたる。」との事だ。上記の宇宙ステーション打ち上げも、国威発揚という目的が大きいのではないか。

27年前の本書の「国内ニュースに」、「趙紫陽総理、フランスを訪問」という記事があり、「訪問中、趙紫陽総理は精力的に各地を参観した。まず、新幹線でリヨンに向かい、この先進的な地上交通手段の運行状況を見た。また、リヨン市南部のサン・アルバン--サン・エリス原子力発電所建設工事を見学した。パリへの帰途は、欧州六カ国が協力してつくった中距離飛行機「エアバス」に乗った。趙総理はまたフランス北部の工業都市リールを訪れ、同市の軽便自動地下鉄のコントロール・センターと列車保守職場を見学した。リールの軽便地下鉄はフランスだけではなく、世界でも最初の自動制御地下鉄である。」と述べている。

この記事を読むと当時の中国指導者が、世界の最新技術に大きな関心を示しているのが分かる。本書出版当時は趙紫陽総理も鄧小平主任も健在だった。WIKIPEDIAによると「趙紫陽総理は1989年の天安門事件で失脚し、2005年に亡くなるまで軟禁生活を余儀なくされた。」とある。

「人民網日本語版」は、「1978年日本の旅――鄧小平氏が訪日で学んだもの;url=http://j.people.com.cn/95911/95954/6545780.html(2008年12月3日)」というタイトルで、「1978年は、中国の国家戦略に大きな転換が起こった年だ。中日両国は同年8月、「中日平和友好条約」を締結。続く10月22~29日、鄧小平氏が、中国の指導者としては戦後初となる正式訪日を行った。この訪問は、「中日平和友好条約」の批准書交換セレモニーに出席するためのものだったが、鄧小平氏にとっては中国近代化の大戦略を準備するための学習の旅でもあった。中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議の直前に実施されたこの旅の中で、中国の改革開放の総設計者である鄧小平氏は、改革開放の壮大な青写真を心に描き、中国をいかに発展させていくかを考えていた。」と報じた。

上記記事の「8日間の訪日期間中、鄧小平氏は時間を作り、新日鉄・日産・松下の3社を見学した。新幹線で東京から関西方面に向かう途中、感想を聞かれた鄧氏は、「速い。とても速い。後ろからムチで打っているような速さだ。これこそ我々が求めている速さだ」「我々は駆け出す必要に迫られている」「今回の訪日で近代化とは何かがわかった」と語った。」という部分の記憶も改めて甦えってきた。

中国は、近代化が遅れて、世界の列強に屈した歴史がある。その近代化は技術面だけではなく、国家制度にも及んでいたのが本書の「新兵役法について」ではないか。それによると1955年に最初の兵役法が制定された。毛沢東の長征時代は人民軍が中心で多分軍の階級は明確ではなっかろう。当時は階級否定の雰囲気も大きかったとおもう。本書の「階級制度について」という囲み記事には、「階級制度は1965年に廃止されたが、新兵役法は改めてこれを規定した。」とある。「軍隊の現代化、正規化を強化するきわめて重よな措置である。」と述べている。

本書を読みかじって、改めて歴史の流れの速さを感じた。そうして、ほぼ三十年前に中国の指導者達が外国で見た近代技術の成果を、現在は中国国民が自分の眼でみて、それを享受できる時代になった。しかし、急激な近代化のため、国内の歪みも蓄積されてきているようにも見える。中国は世界の中で存在感・プレゼンスを誇示できる条件が整いつつある。軍事力の強化は特に目立つ。単独宇宙船の打ち上げも宇宙兵器と紙一重ではないか。かつて、帝国主義・覇権主義云々と他国を非難してきた中国であるが、現在の中国はどんな状況なのかと改めて考える事になった。