読みかじりの記:「句集 山祗(やまつみ)の笛」 根岸 苔雨 著 (1989年 ほおずき書籍 株式会社)

2011/10/26
昨日は曇り後晴れ。日ざしは余り強くなかったが暖かであった。接木苗をポットに植え付け。接木実験の続き。リュウノヒゲ移植等。

2011/10/25の天気

TAVE= 18.9
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読みかじりの記:「句集 山祗(やまつみ)の笛」 根岸 苔雨 著 (1989年 ほおずき書籍 株式会社)

著者は藤岡生まれ。あとがきによれば本書は著者の俳句歴50年の集大成。巻頭の吉田未灰の序に代えで著者の紹介がある。

個人句集は一句一句個性の表現だろう。一般読者として、地域の歴史等を知る上でも参考になる句を観賞してみた。年代毎に5抄に区分けされているが時空を超えて抄名は略した。

■窯出しの 瓦きんきん 霜凪げり

瓦きんきんとは瓦が窯から出されるときの音だと思う。霜凪げりとは外気は冷たく風も南無固まっている。そこに「瓦きんきん」と躍動感がある。

■盗み桑して 菓子折に 蚕飼ふ

菓子折に飼う程度なら、桑もわずか。フィクションかもしれない。蚕を飼いたいという気持をこういう作品に仕上げた。群馬県ならではの句だろう。

■桑榾(ほた)を ゆたかに焚きて 初湯かな

昔は桑の榾(ほた)は立派な燃料であった。燃料のランクで言えば、薪は高級、榾(ほた)は中級、小枝や枯葉はそれ以下。素材は中級だがゆたか、初湯とか気分は上々である。この句のように風呂瀧をした経験があると懐かしい句でもある。

■製材工 焚き火の五指の どれか欠け

仕事の厳しさをそれとなく詠っている。今日では労災になるだろうが。当時は泣き寝入りだったろう。

■早苗饗(さなぶり)の 混浴老に 男女なく

早苗饗(さなぶり)とは重労働の田植えが終わった後の飲み食い。自分の親の時代にはそういう風習があった。年寄りの混浴は珍しくもなかった。

■水盗む 一村いづれ 血のつながり

我田引水。稲作は百姓の生命線。小さな村では何代かたどれば皆血縁。そんな事情を句に詠んでいる。
昔はどこにも水争いがあったことを思い出させる。

■萍(うきくさ)や いづれ縁なき 衆生とす

田圃の浮き草を詠んでいる。このような句も歳を重ねないと詠めない。

■鉄砲虫 一樹つらぬき 明易し

「明易し」が難解であるが。無花果やリンゴが鉄砲虫被害にあっているとよく分かる部分がある。

■毛虫より みれば修羅かも 毛虫焼く

立場を代えた視点。それも修羅場を見る。句に作りがたい場面だ。

■死んだもの 貧乏杉菜 よく伸びる

「死んだもの」が難解であるが、嫌われ者の杉菜のイメージにぴったりの句だ。それがつくしんぼうになると逆転する。

■赤い羽根 胸に偽善を 感じをり

真偽は表に現れない。曰く言い難いことを言う事の難しさ。

■雪吊りの 縄一本も 弛みなし

雪吊りは庭木を保護する手段だが、それが庭の風景になる。

■山祗(やまつみ)と 谺(こだま)が遊ぶ 寒桜
■山祗(やまつみ)の 笛蕭々と 寒桜

山祗(やまつみ)とは山の霊、山の神。この句あたりに本書の題名があるのだろうか。本書に寒桜の句が多い。著者の原風景に寒桜があるのか。

■雪卸し 雪をののしる 言葉なく

向かしは自然に黙々と従って生きてきた。今は自然は征服すべき対象なのか。

■きちきちに 無聊の肩を 追い越さる

きちきちはバッタのことか。

■黄昏の 色を曳きずり 蟇歩く

懐かしい風景。

■曼珠沙華 どこかで狙う 火縄銃

難解。イメージで読む句。

■半分はひやかし苗木市のぞく

生活実感がある。

■ぎぎと鳴く 髪切り虫の 悋気かな

悋気(りんき)。カミキリムシは確かに鳴くようだが、あの口がこすれる音のようでもある。視点が違う面白さ。

■花種を 蒔き諍いの 縒りもどす

結構な事だ。

■踏んばって 水を凹ます あめんぼう
■保護色は 神のなす業 雨蛙

上の二句は本書最後に掲載されている。じっくり読みたいが時間がない。読むのに難儀して辞書を何回もひいた。ATOKの入力にも手間取った。やさしい句が出てくるとほっとする。辞書はカシオとシャープの電子辞書を使っている。使い勝手の良い電子漢和事典はないものか。