読みかじりの記:「堀江貴文のカンタン! もうかる会社のつくり方」 堀江貴文 著 (2004年 ソフトバンクパブリッシング株式会社)

2011/10/16
昨日は曇り。朝小雨。AM来客雑談。切れない鉈を振り下ろして竹きりをして疲れた云々とお互いに年だナーとか言い合うが、こちらはもっと頑張らなくてはとう年なのだが。PM宅内雑用。予想外に昨日収穫したサツマイモが食卓に上がった。薄く輪切りにしてその上にクリームチーズをのせて焼いたもの。ほくほくしてうまかった。昔の芋の食べ方。サツマイモ、ジャガイモは大体ふかして食べた。サツマイモは甘みがあるので何もつけない。ジャガイモは塩を付けて食べた。サトイモはゆでて醤油を付けて食べた。ジャガイモを焼き芋にして食べるのもうまかった。自分はサトイモをすべるいもと言って好物だったようだ。終戦後の食料が不足して贅沢が出来ない時代に、食い盛りだったので芋はご馳走のうちだった。紙芝居屋さんの思い出:http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2008/12/post-591d.htmlで紙芝居もお金でなく、ジャガイモ等の現物を持って見せてもらった記憶もある。祖母は乾燥芋を作った。ゆでたサツマイモの皮をむき、口にくわえた木綿糸で薄く切っていた。それを蚕を飼う竹かごに敷いた新聞紙の上に並べて乾燥させた。これも一種の保存食である。時が経つと徐々に固くなる。その分口の中に滞留している時間が長くなる。飴のようにしゃぶった事もある。草むらの中に落ちていた蜂屋柿を食べた。こちらは膿ガキ。ウンダラガキと言っていた。熟柿も意外にうまい。妻曰く熟柿は年寄りの好物だ。それはもっともだ。

2011/10/15の天気

TAVE= 19.9
TMAX= 21.2
TMIN= 18.6
DIFF= 2.6
WMAX= 3.3
SUNS= 0
RAIN= 2

読みかじりの記:「堀江貴文のカンタン! もうかる会社のつくり方」  堀江貴文 著 (2004年 ソフトバンクパブリッシング株式会社)

本書の腰巻きに「年功序列も大企業信奉も間違っている! 儲かる会社を作って勝ち組になろう!」とある。本書の巻末に本書の著者の処女出版本「100億円稼ぐ仕事術(2003年)」の広告がある。そのキャッチコピーが「一日にメールを5000通さばく! 堀江貴文の驚異の仕事術がこの一冊に」とある。ともかく本書出版当時は著者の勢いは凄まじかった。

金融用語辞典は、「ITバブル;url=http://money.infobank.co.jp/contents/A100107.htm(更新日:20110317)」というタイトルで、「あいてぃーばぶる
 ITバブルとは、1990年代末に米国を中心に世界的な広がりを持ったバブル経済状況をいいます。パソコン・携帯電話およびその関連機器、コピー機やファックス機器などの事務用機器などに新製品が相次いで発表され、爆発的に普及したこと、さらには通信回線とコンピュータが結合した情報ネットワークの構築など、情報技術(Information Technology ; IT)に関連する産業が中核となり、その拡大・急成長が米国だけでなく世界経済全般の好況をけん引したところから「ITバブル」と呼ばれます。また、電子メールやインターネットがめざましく普及し、社会のあらゆる場面で情報化が一気に進展しました。」と解説している。

「失われた10年;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E5%B9%B4;(最終更新 2011年10月9日 (日) 03:54)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「日本では1991年3月から2002年1月までの約11年間。本項で述べる。」、「日本における失われた10年はバブル景気崩壊後の1990年代前半から2000年代前半にわたる不況の時代を指す語である。平成不況(平成不況期)や複合不況とも呼ばれる。」、「1991年(平成3年)3月から始まった「失われた10年」(平成不況)は、1999年(平成11年)から新世紀にかけてのITバブルを経て、2002年(平成14年)1月を底とした外需先導での景気回復により終結した。」とある。

IT技術が世界経済を牽引したのも事実であろう。ITは情報の流通速度と流通量を飛躍的に高めた。特にコンピュータと通信網(インターネット)は情報の質と流れる方向の多様化を拡大した。IT技術はビジネスだけでなく生活のインフラになってきた。著者のビジネスがコンピュータと通信網を中心とするIT技術分野であった事が、まざまざと思い出される。

本書を読んだのは、S.Jobsの生涯と重ねて見たいという動機があった。S.Jobsは1955年-2011年、56才で死去。著者は1972年生まれだ。

「スティーブ・ジョブズ;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%96%E3%82%BA#.E9.9D.92.E5.B9.B4.E6.9C.9F;(最終更新 2011年10月14日 (金) 14:05)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「幼少期 [編集];1955年、シリア人の政治学者、アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれる。ジョアンの父が、シリア人であるアブドゥルファターとの結婚を認めなかったため[5]、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。結果、スティーブはポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に引き取られることになった。ジョアン・シンプソンは、ジョブズ夫婦が大学卒でないことを知り、養子縁組を躊躇したが、ジョブズ夫婦が彼を大学に進学させることを約束して、縁組が成立した。ジョブズが、実の母と再会するのは、彼が30歳を過ぎた頃である。作家のモナ・シンプソンは、彼にとって実の妹に当たる。」とある。

人格の原型の自我が形成されるのが幼年期である。S.Jobsの幼年期も必ずしも幸福ではなかったようだ。しかし、幼年期に形成された自我がその後のS.Jobsを作る基礎になっているとも思われる。目前の難問も障壁も、それを乗り越えてきたという自信がなければくじけてしまうだろう。強い自我の主張は、本来のナイーブな自我を守るのに役立つのではないか。ナイーブな自我を忘れてはならない。

S.Jobsと著者の仕事ぶりにも似た所があるようだ。しかし、似ているのと同じなのとは別物だ。仕事の対象がIT技術の中核であるコンピュータとインターネットであるのも似ている。

上記、WIKIPEDIAの「青年期 [編集];968年、ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける。ビル・ヒューレットはパロアルトに住んでいることを知っており、電話帳で調べてみたところ、パロアルトで、ビル・ヒューレットの名前で掲載されているものはひとつしかなかった。ジョブズが周波数カウンタの部品をくださいと言うと、部品をくれたばかりか、夏休みにアルバイトをしないかと持ちかけられた。もらった仕事は、ヒューレット・パッカードの支社で、周波数カウンタをつくっているところだったという[6]」とうい記事も興味がある。

ヒューレット・パッカード社は元々はヒューレットとパッカードという技術者が起業して作った計測器を作るベンチャー企業であった。ソニーの前身もこのような計測器を作る会社であったとの事だ。自分が入社して技術者として最初に使ったバルボル(真空管電圧計)とSG(信号発生器)もhp社製であった。hp社製計測器は価格は高くてもその信頼性は国産品を凌駕していた。S.Jobsが青年期に技術に目覚め、成功したベンチャー経営者と会った事はS.Jobsの生涯にも大きく影響したのではないか。

本書は著者の起業の経緯を記した本でもある。日本はベンチャー企業が育ちにくい風土であるとよく言われている。しかし、日本に商工業という事業が生まれたのも100年単位で考えればつい最近の事だ。そのルーツをたどれば必ず創業者がいる。本書に記された内容も特に新しさはないだろう。本書出版時点では、起業をして成功した実績から、起業をしやすい社会的風土を作る追い風になったとは思う。「一日にメールを5000通さばく!」とはかなりの誇張に感じた。凡人は寝ずに頑張ってもこれだけのメールはさばけないだろう。著者の会社の急膨張で人材・組織の脆弱性が気になった。組織については著者も本書で述べていたことだ。

米国ではXX_BROTHERS AND COMPANYかの会社名がある。hp社も創業者の名前を冠した社名である。社名も創業の精神も企業では大切な要因だろう。そういう点では、企業の人的側面は無視できないだろう。XX_BROTHERS AND COMPANYとかは日本の同族企業のようでもあるが、社名は人材はどうでも良いという会社には凝集力は生まれないのではないだろうか。その点、S.Jobsのアップルは何を教えてくれるのか。会社は利益追求第一というのも考えさせる。そこが若さか。会社も社会的存在として成長しなければならない。読み方では色々な事を教えてくれる本ではあろう。

今思うと、アップルはソフトを重視しているが、ハードを捨てていない。ハードとそれを実現する技術に信頼を寄せている点にアップルの特徴があるように思われる。その点著者のビジネスはハードや技術への信頼が薄いのではと感じた。バーチャルの度合いが高まるに連れビジネスも不安定になる要因が高まるのかもしれない。