読みかじりの記:林住期 五木寛之 著 (2007年 株式会社 幻冬舎)

2011/10/3
昨日は曇り。昼過ぎ少し晴れ間があった。接木の実験。接木が成功して苗が出来ても実が生るまでには数年かかる。本格的に収穫できるまでには10年位かかるのではないか。来た人に120歳まで生きなきゃと冗談を言われてしまった。遊びだよと返事をした。接木が面白い理由は幾つもある。現役時代は半導体で飯を食った。この半導体も性質が異なる物質を張り合わせたような接合面がある。この接合面が半導体の色々な機能を生み出す。半導体は理論も実用性もピカイチ。半導体でノーベル賞を貰った学者もいる。今日のケータイやパソコンも半導体が無ければ想像さえできない。一方、接木は実用性が先行したスーパーローテク。人間がおいしい果物や有用な植物を増産するのに役立っている。接木理論があるのか定かではない。あるとすれば植物細胞生理学の範疇か。このハイテクとローテクの接合という共通性・アナロジーが自分の最大の興味事項。半導体の接合は原子レベルの現象だが接木の接合は細胞レベルの現象だろう。接木は人間が鋭利な刃物を使えるようになってから始まって、相当に古い技術らしい。一方半導体接合は人類が原子の流れを拡散装置で精密に制御できるようになって実用化した。刃物も拡散装置も人類の歴史では大きな発明。接木もプロ級になるには10年位かかるとの事だ。100%の失敗から100%に近い成功まで接木の技術レベルも様々。色々工夫して接木から苗をつくり収穫まで数年。接木はこういう気長な楽しみでもある。ともかく接木の実用性は、人類の歴史の中ではノーベル賞級の技術である事には変わりがないだろう。本日から今年度のノーベル賞の発表があると朝のNHKニュース。興味津々。

2011/10/2の天気

TAVE= 17.0
TMAX= 19.2
TMIN= 15.5
DIFF= 3.7
WMAX= 8.1
SUNS= 1.4
RAIN= 0

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読みかじりの記:林住期 五木寛之 著 (2007年 株式会社 幻冬舎)

本書を一読して、最終章を除いてストント納得できるような読後感を味わった。最終章は「韓国からインドへの長い旅」というタイトルで、著者自身の自伝的な内容を含んでいるとおもう。この部分を理解した上で残りの章を読むべきかもしれない。人生の四住期という古代インドの考え方が何となく自分にもしっくりと馴染むように感じてきたのは、自分もそんな年齢に達したのではないかと思うからであった。インドという国は老大国である。人間の歴史で、何か探せばインドに無いことは無いのではと思うほどである。そのような風雪に耐えてきた生き方の一つが人生の四住期という考え方ではないかと思う。著者は人生百年という現実的な状況を目前に、林住期を積極的に捉えて解説してくれる。それも、著者の四住期の前半の体験を土台にしているので説得力がある。

ここで四住期とは学生期、家住期、林住期、遊行期である。ある期間を4つに分ける場合が意外に多い。一年を第一四半期云々と分けるのもその時系列に特徴があるためだろう。春夏秋冬もその例だろう。日本では人生を春夏秋冬に分けた方が心情に合うようだ。しかし、それでは余りにも即物的だ。やはり、人生いかに生きるべきかという観点からは人生の四住期という区切りがしっくりする。象徴的には、春夏秋冬は朝昼夕夜という区切りでもある。太陽が規則的に朝昇り夕に沈むという現象はエジプト文明の基礎にもなっている。一人の人間にとっては、その人生のサイクルをたった一回しか回せない。しかし、有史以来、何兆何京人以上の人間が、様々な人生を生きてきた。本書は、そんな人間の歴史の中で、林住期を多くの人間が迎えることができるようになった意義を読み解き、如何に生きるかを探求したものでもあろう。

著者は本書出版時に丁度、林住期と遊行期の移行期にあったのだろうか。遊行期の事はあまり詳しく語られていない。しかし、最終章の「歩きつづけるブッダの姿」を読むと、ブッダの学生期、家住期は短く、林住期は家を出て山林で苦行をした6~7年、残りの死ぬまでが遊行期に見える。著者の遊行期のイメージをもっと知りたいところだ。人生を機械的に区切っても仕方ないが、幾つかの段階に分けて、その区分相応の生き方をするというのが人生の四住期という考え方の極意ではないか。ともかく、段階が進むほどに、老いも進む。いま何を為すべきか、そんな目先の事を考えずに、人生の全てをあるがままに認識するのが第一歩だ。それが著者のいう「気づき」ではないか。後ろを振り返るのも前に進むためだ。その前に進むやりかたも、がむしゃら・無謀ではなく、今まで生きてきた方法を振り返り、再考し、取捨選択云々と年齢相応で良いのではなかというのが、自分の勝手な解釈である。やはり、林住期は自分の主人は自分だ、自己を取り戻せという忠言にも思える。

人生如何に生きるかという信条で、サミエル・ウルマンの「青春の詩」は有名である。事業に成功して老いて尚矍鑠の人がこの詩を好んで引用しているのに何か違和感を感じる事が有る。これは米国流の人生観を現しているのだろうか。米国は若い国だが、老人の立場はどうなのか。アンチエージングも老人の不安の裏返しではないのか。日本でもその風潮が顕著になった。日本は世界に先駆けて超高齢化社会が日々迫ってくる。このような社会に個人としてどのように立ち向かうのか。林住期も無く、仕事を追われたら、翌日から器を持って物乞いをしなければならない遊行期が来るようでは困る。林住期を死に至るまでの黄金の道にできるのなら結構だ。著者は死を考えない事はないと所々で述べている。これはブッダが考え抜いた人生最大の難問だ。「汝等は怠らず努めなさい」という言葉がブッダ臨終に際して残した最後の言葉との事だ。

「大般涅槃経;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%AC%E6%B6%85%E6%A7%83%E7%B5%8C;(最終更新 2011年9月27日 (火) 06:29)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「原始仏教経典の涅槃経:初期仏教中で、釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する経典で、パーリ聖典『長部』に属する(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ=大般涅槃経)。元来は『律蔵』中の仏伝の一部であったと考えられている。この中では、釈尊が、自分の死後は「法を依(よ)りどころとし、自らを依りどころとせよ」(自灯明・法灯明)といったこと、また「すべてのものはやがて滅びるものである。汝等は怠らず努めなさい」と諭したことなどが重要である。」とある。

林住期の位置付け・考え方も人様々。死に方も様々。高齢化社会が突然やって来ても困る。団塊の世代が人生問題日本に直面するのも間近い。そんな時に本書の一部を拾い読みするだけで色々示唆を
受けるのではないか。呼吸法もその一つであった。青年時代に呼吸法や座禅を試みた事もある。ともかく人生の前半を読み解く事により人生の後半が描けるのではないか。読書は楽しみでもあり、ワクチン・抗体でもある。免疫力が無いと人生後半を生き抜くのも大変だ。「思うにまかせぬ世に生きて」というのがあとがきに代えてての前の項。世は「思うにまかせぬ世」ではあっても生きる道はあるというのが著者のメッセージだ。若い人も対象にしている。若い人にも読んで貰いたい。若い人も老人も現代人は余りにも刹那的な人生観に捕らわれすぎていないか。人生をもっとマクロに捉えるための参考書にもなると思う。