読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)。20120213。

2012/2/13(月)
昨日は晴れ。均一価格のバーゲンセールに出かけた。開店は10時から。お目当ての物は無事入手できた。次ぎに11時に始まるイベントに向かう。ここで偶然従兄弟に出合った。久しぶりなので、イベント終了後、ホールの腰掛けで1時間ほど雑談した。DIY店で工作資材を探したが適当なのが見つからない。直売所で唐辛子。赤色が鮮やかな物を選んでしまった。何かノウハウがありそうだ。唐辛子湯にして飲んでみた。刺激の強い物は程々にしないと。

2012/2/12(日)の天気

TAVE= 2.3  
TMAX= 6.3 最高気温(℃)  6.6  12:37
TMIN= -1.8 最低気温(℃)  -2.0  03:02
DIFF= 8.1  
WMAX= 7.6 最大瞬間風速(m/s)  16.4(北西)  13:47
SUNS= 10.2  
RAIN= 0  

読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)

本書は、数年前に必要に迫られ読んだ本の中の一冊だ。広辞苑の半分以上の厚さだろうか(改めてページ数を調べると本文1026ページ。条文索引48ページ)。退職した技術者が読みかじったとは著者も想定外かも知れない。ともかく書き込みのある古本だったので何とか手が出た。講義で著者の学生が使ったかも知れないと考えると不思議な縁を感じる。大学の教養課程で法学の講義を受けた記憶はある。百姓のせがれで、当時使えた金は、親爺がやっと出してくれた授業料と奨学金と少しだけのアルバイトの収入だけ。当時は授業料が一定なら、講義を沢山受けた方が得だとバイキング料理のような感覚があった。多分、ほとんど講義内容の記憶がないので講義内容が消化できたか疑問だ。高校時代は人を助ける弁護士や医者にも関心感心はあったが、ハードルは高いし、後続の兄弟姉妹がいるので、浪人をすることもできないと技術屋の道を歩くことになった。ともかく、大学で法学の講義をうけた事は全く無駄だったともいえなかったようだ。会社では特許や契約の仕事をしたこともあり、ある程度の法学的な要素があった。しかし、訴訟となると話は別である。会社では法務や知財という部署があり、対外的な訴訟事務はその部署が担当するので、現業部門は、せいぜい資料を提出する程度で済んだ。現在では以前読みかじった本書も本棚の隅を占拠しているだけになった。

大部な本書を通読する気力も体力もなかったが、本書を読みかじって、なんとなく裁判とはボクシングや相撲に似ているなという感じが理解できた。読みかじるだけでも気合が必要だった。書くのは尚更だろう。そうして、今になって一番印象に残っているのが、「育ての母に 本書を捧げる」とう献辞が本書の巻頭にあった事だ。あれほどの大著を「育ての母に 本書を捧げる」と書くには相当な背景があるのだろうと目頭が熱くなった。育ての母を語った人に、哲学者の梅原猛氏、ノーベル賞受賞者の田中耕一氏がいる。幼い時の母親は太陽のように暖かく偉大なのだろう。特に男児にとって母親という存在は計り知れないものがある。そんな事を思い出しつつ本書を再び手にしてみた。ずっしりした重さを感じる。WEBで著者の名前を検索すると、下記の記事があり、早速読ませていただいた。

「研究生活を回顧して --人との絆に支えられて(専修大学法学研究所所報)--url=http://www.senshu-u.ac.jp/~off1013/bunken/pdf_syohou/42_0001-0027.pdf」。

本書が著者の専門の集大成であり、一つの分野を一人で書き上げた体系書である事が分かった。「民事訴訟法」とはどんなものか著者の研究のすべてが網羅されている点で、本書を手にしたのも一つの巡り会いかもしれない。体系書は著者も読者も全人格・全能力を打ち込んで取り組むことにより初めてその長所が生きてくるのかもしれない。上記記事には「育ての母に 本書を捧げる」という献辞の背景も書かれており、改めて本書との巡り会いを意義深く感じた。同時に知的財産権や情報という現代的な法律問題にも著者が取り組んでいた事が分かり感慨を新にした。記事の中には、辛口な直言もあるが、それはまさに古巣を去る鳥の老婆心というところなのだろうか。厳しさの中に本当の優しさがあるのかも知れない。そんな事例もその記事にはさらりと述べられていた。門外漢ではあるが記憶に残る一冊である。

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追記(2014/3/13):
『読みかじりの記:「民事訴訟法」   梅本吉彦 著 (2002年 信山社株式会社)』が当サイトのランキングに入ったのでメモしておく。本書を手にした理由を、本記事の冒頭に軽く触れた。人生、訴訟なぞやるものじゃないと常々言われている。たまたま、地域の農事関係団体の役員の順番がまわってきた。その団体は裁判の被告になっていると聞いていた。地域の農事関係の紛争では、原告も被告も全くの他人ではない。勝っても負けてもその地域に住み続けなければならない。ましてその対象が農業施設なら、それを担いで引っ越す訳にもゆかない。役員を受ける条件として、次の役員になる順番を総会で決めてもらって受けたのだ。いざ、役員の仕事を始めると、農繁期と農閑期を選ばず裁判所通いが始まった。弁護士費用が高いので、付けていた弁護士は解任したとの事だった。弁護士無しの百姓の爺さんたちが、どうしても弁護士付きの原告に勝てるとは思えなかった。負けたらどうなるのか。それを考えるとぞっとした。敗訴により、多額の弁護士費用が役員にのしかかってきたら大変だ。まさに溺れる者がワラをもつかむ、窮鼠猫をかむという心境で本書に飛びついた。本書に巡り会ったのは、古本屋で手頃な価格で並んでいたのも一つの縁であった。数千円の新本なら手が出ずに、巡り会う事もなかったと思う。今では、百姓の爺さんたちを巡る訴訟沙汰も一件落着している。本書を読みかじって、今でも一番強く記憶に残っているのは、「育ての母に 本書を捧げる」とう献辞に関する事である。自分が巻き込まれた裁判はすで終わっているが、今でもその裁判を思い出そうとする気になりたくない。しかし、裁判で教えられた事も多くあった。また、裁判所の職員にも親切なアドバイスを頂いた。少しづつ記憶が薄くなりかけている。記憶が消える前に少しでも書き残しておきたいが。

追記(2019/10/11):タイトルを太字と色文字に修正。日付を追加。
この記事の本日のアクセスランキングは9位。ここ数日はランク入りしている。まだ読者がいるらしい。感謝。とりあえず記録に残したい事を忘れない内に書いて置こう。「地域の農事関係団体」とは当地域の水利組合である。当時裁判に通った先輩二名は既に鬼籍に入っている。相手方の弁護士もWEB情報によると故人になっているらしい。裁判への付き合いは前橋地裁からである。ある時、仲間数人で前橋の弁護士に相談に行った。案件は水利訴訟と説明したら、忙しくて手が空いていないという話で相手にされなかった。水利訴訟は犬も食わぬかと思った物だ。だが、途中から本書が参考書として実戦参加してくれたので、戦い方に不安は感じなくなった。先人達が残してくれた契約書一本が判決の決め手になった。結局、原告が並べ立てた文言は無知な百姓の爺連中に対する脅しに過ぎなかったのだろう。前橋地裁では被告勝訴。東京高裁では、水は天下の回り物という例えで裁判官に和解を勧め進められた。だが、和解も原告の作戦だろうと和解を拒否した。当然高裁でも勝訴した。最高裁では何をしたか分からなかったが一応、最高裁まで原告は訴えた。その後、組合長に被告勝訴の通知が届いて長期間の裁判も終焉したのだった。先人達は良くあの契約書を残してくれたと先人達の先見の明は後々の語り草になった。