ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群

2012/2/12(日)
昨日は晴れ。昼前上植木神社の祈年祭に出席。町内の当番なので氏子代表という役で参加。本殿には宮司の祖父の古びた写真が飾ってあった。今の宮司は三代目とか。正座をして靴下の穴に気付いた。二礼二拍一礼、穴には気付かぬ如く済ませた。建国記念日で戦前は紀元節だった。暦を見ると今年は皇紀2672年である。かみさんが占いを見て、今日は小旅行に吉とあるから外出しようと言い出した。お上の祟りは怖い。小半日付き合う。近くのスーパーモールでうどんを食い、古墳展示会を見学して帰った。

2012/2/11(土)の天気

TAVE= 3.1
TMAX= 6.5 最高気温(℃)  7.2  13:16
TMIN= 0.3 最低気温(℃)  -0.1  23:42
DIFF= 6.2
WMAX= 7.3 最大瞬間風速(m/s)  13.5(北)  11:34
SUNS= 10.3
RAIN= 0

古墳展示会当日、梅沢猛の「日本の深層」を購入し拾い読み。「1418夜『日本の深層』梅原猛|松岡正剛の千夜千冊url=http://1000ya.isis.ne.jp/1418.html」を読み探していた文庫本だ。マクロ的には古墳も日本の国家が形成されつつあった時期に連なっている。古墳は何故作られたか。松本清張は古墳造営と水田開発(食糧確保)は車の両輪とみる説を出している。古墳造営は社会の階級構造を形成するのにも関係しただろう。臣民を生かさず殺さず程度に支配すれば支配者の地位は安定する。参勤交代の古代版が古墳造営という事は空想なのか。伊勢崎の古墳で、古墳の被葬者の脇に多数の赤玉が並べてあった例が展示されていた。赤は鉄錆びの色で、鉄製分を多量に含む素材を丸めた物だそうだ。当時では貴重な染色材料だったらしい。被葬者はそれを多量に所有し、赤玉を作る技術や富を誇示したのではないかと説明員が解説してくれた。今年は養蚕を世界遺産にと群馬県は懸命になっている。伊勢崎の養蚕も蚕糸も最終的な価値は色彩や図柄等が決める。明治以降化学染料が使われるようになるが、化学染料が古墳時代まで遡る可能性があるのか。養蚕や染色の起源にも空想が羽ばたく。

ざっそう句:古代へのロマン 伊勢崎の古墳群

■古墳展 ロマンと共に 謎を追う
■文明の 最先端に 戦あり
■墳と寺 同版瓦に 謎の鍵
■太古より 土建事業に 闇深し
■被葬者は 赤玉並べ 永久の夢