技術 回顧と展望:明治の文明開化から始まった電気利用は今後どうなるか

2012/3/25(日)
昨日は午前は曇り。午後より晴れ。用事外出。古本屋でDOSの本を探す。100円ショップでマスクを購入。花粉症対策。昨年の福島原発事故直後は、店頭から売り切れや買いだめでマスクが消え、入荷未定の張り紙があちこちに出ていたのを思い出す。たまたま、トイレの暦を見ていると3月25日は電気記念日と一行だけ書かれていた。電気記念日は馴染みが無く調べてみた。

2012/3/24(土)の天気

TAVE= 8.7
TMAX= 14.3 最高気温(℃)  15.6  13:40
TMIN= 5.6 最低気温(℃)   4.9  23:12
DIFF= 8.7
WMAX= 11.2 最大瞬間風速(m/s)   16.9(北西)  14:51
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技術 回顧と展望:明治の文明開化から始まった電気利用は今後どうなるか

「電気記念日」をWIKIPEDIAで調べてみたが内容が貧弱であった。日本電気協会のサイトで調べた。社団法人日本電気協会は「明治25年の「日本電燈協会」発足に源を発し、その後幾度かの改変を経て、大正10年10月に設立された、日本で唯一の電気関係総合団体です。」との事だが、こちらも余り馴染みがない。

日本電気協会のサイトには、「 電気記念日の由来 ;http://www.denki.or.jp/about/origin.html」というタイトルで、「毎年3月25日は、電気記念日です。 明治11年(1878年)3月25日、工部省電信局は、万国電信連合に加盟する準備として東京・木挽町に電信中央局を設け、その開局祝賀会を東京・虎ノ門の工部大学校の講堂で開催しました。 祝賀会は、大臣や各国行使など150名を越える人々が参加し、盛大に行われました。夕方、大学校の車寄せに多くの来賓を乗せた馬車が次々と到着し、玄関から2階の講堂へ案内されていきました。」とある。

いわば、「電信中央局 開局祝賀会」というメインイベントを盛り上げるためのサイドイベントが電灯の点灯だった。WIKIPEDIAの「電信」によると、「アメリカ合衆国 [編集]:1836年にアメリカの科学者デイビッド・オルターがペンシルベニア州エルダートンで電信機を発明した。
日本 [編集]:1854年、ペリーが持ち込み、日本に電信がもたらされた。ペリーは電線を1km程引き、公開実験をおこなった。このとき、「YEDO, YOKOHAMA」(江戸、横浜)と打った。1869年、電信による公衆電報が東京・横浜間で開始された。」とある。当時では、電信は通信革命と言えただろう。明治維新(WIKIPEDIA=開始時期については諸説あるが、狭義では明治改元に当たる明治元年旧9月8日(1868年10月23日)となる。)直後から文明開化の波が押し寄せているのが分かる。

「電気記念日の由来 」はさらに電灯点灯の様子を、「この日、会場に電気灯を使用するよう、工部卿伊藤博文から特に命ぜられていた英国人エアトン教授は、グローブ電池50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(「デュボスク式アーク灯」)を点灯するため、自ら難しい調整にあたっていました。 やがて6時、エアトン教授の合図とともに、目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出しました。その場にいた来賓たちは、「不夜城に遊ぶ思い」と驚嘆の声をあげたといいます。 これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯された瞬間でした。 翌年の1879年10月21日には、米国でエジソンが白熱電球を発明し、日本にも輸入されました。明治19年(1886年)には東京に電灯会社が生まれ、電灯に動力にと、電気の時代が幕を開けました。~動力への利用は電灯よりも少し遅れて、明治23年(1890年)11月、東京・浅草の凌雲閣(12階)のエレベーター運転用として、7馬力電動機に供給されたのが初めてです。明治28年2月には、京都伏見線で電気鉄道が初めて営業運転を行いました。このように、3月25日は日本の電気事業にとって忘れることのできない日です。
これを記念するため、昭和2年に開催された日本電気協会の総会において、3月25日を「電気記念日」と定めました。以来、翌年の昭和3年から毎年3月25日頃に全国各地でさまざまな記念行事が開催されています。」と記す。

上記の記事から、設置されたのはアーク灯(空中放電)であり、調整が難しいことが分かる。この問題を解決したのがエジソンの白熱電球という事になる。当地区では、父が幼少の時電灯がともり、大喜びをしたと昔話が伝わる。大正時代の中頃まではランプの生活をしていたのだ。その後、終戦まで、家庭での電気の使われ方は詳しく分からない。電灯中心の利用だと思う。終戦後、地域に共同風呂があり、これは電熱利用だったそうだ。我が家でも、卵から鶏の雛をかえした頃があり、その時は保温に電球を使っていたようだ。脱穀機も足踏み式からモーターを使った電動式に代わった。

電気は便利だが見えないという性質があり、ついついその存在と有り難さを忘れてしまうが、そのエネルギー利用の安定性に不安が目立ってきたのが現代だろう。「心象の足跡:吉田松陰を彷彿とさせる渋川市の御蔭松と楫取素彦(4)http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2012/03/post-f7fe.html」に、明治12年の交通事情として、「当時を物語る記録では、行啓は、大夫・書記官・侍医等150名からなる従官を伴って御馬車に乗り、途中大宮・熊谷・高崎に泊まり、山道に入ってからは御興しに乗り換えこの地に辿り着いた」という記事がある。明治11年の「電信中央局 開局祝賀会」と対比するとするとその格差にも興味を感じる。電気利用も単なる、熱、光、動力から、それらを自由に制御する情報通信化時代に入っている。「電気記念日」も電気の歴史を振り返り、未来のエネルギーのあり方を考える上で意義ある日に違いない。