2012年6月28日木曜日
昨日もツユの合間の晴天。西から天気が崩れそうな予報。サトイモの土寄せと施肥。灌水、草かき。晴天なので、掻いた草も直ぐに乾いて色が変わる。27日は、東電、関電等沖縄を除く電力会社の株主総会があった。百均ラジオを聞きながら作業。東電は副都知事、関電は大阪市長等大株主である地方自治体代表が出席し、株主議案提出や総会発言をして注目された。株主提出議案はすべて否決された。久しぶりに東京電力のホームページを見た。一年前と比較すると、ようやく原発事故対応の画面から普通の画面に戻りつつあるように見える。我が非力なWIN ME C400Mのパソコンで覗いているのでIEはV6、ACROBAT READERもV6。株主総会関係のPDFはV3で、A/RV6で読めるが、相変わらず原発関係のPDFはV3以上なのか読めない。東京電力の情報発信の使い分け体質は変わっていない。一体誰の為の情報発信なのだ。これでは株主と東京電力一般利用者の差別ではないか。昼過ぎ、うとうとしているところに、またお手伝いがぶらりとやってきた。気分が変わらないうちに、草かきをしてもらう。しばらく一緒に仕事をしてから、先に帰った。その後は一人で草かき。19時過ぎ半月が南中していた。調べてみると、2012 年 6 月 27 日:16 時 46 分 (GMT 9h)、月齢:7.698、輝面比: 52.009%。二代目ザクロの花が咲いている。
2012年6月27日の天気
TAVE= | 20.8 | |
TMAX= | 26 | 最高気温(℃) 27.3 14:42 |
TMIN= | 15.2 | 最低気温(℃) 14.8 04:12 |
DIFF= | 10.8 | |
WMAX= | 3.4 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.6(南東) 13:11 |
SUNS= | 12.6 | |
RAIN= | 0 |
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身辺雑記:遅れて届いた父の日のプレゼント
スローライフには自転車感覚で使えるWIN MEパソコンも捨てたモノではない。それにしてもWIN MEは良くフリーズする。WIN MEにはリソースメータというツールが付属している。それを導入した。このソフトを使うと、その分リソースを圧迫するので云々という表示がでる。マイクロソフトはフリーズしやすいのを百も承知でWIN MEを発売したと言うことだろう。「メモリの掃除屋さん」というフリーソフトも導入してみた。WEBを開くと、リソース使用率が起動時の30%程度が60~70%に跳ね上がる。これで、フリーズの回避の基本を見たような気がする。電気と同じで、使ったら、こまめに切る(ファイルを閉じる)のが良いようだ。今年は父の日は何事もなく過ぎたと、思っていたら宅配で荷物が届いた。予想外の父の日プレゼントだった。このオンボロパソコンへの恩返しと思う。箱にLENOVOという文字があった。
「DOS/V。http://ja.wikipedia.org/wiki/DOS/V#DOS.2FV.E3.81.AE.E7.99.BB.E5.A0.B4.E5.89.8D。(最終更新 2012年1月14日 (土) 13:36 )」『フリー百科事典ウィキペディア日本語版』(http://ja.wikipedia.org/)。の記事に「 DOS/Vの登場 [編集]
DOS/VはPC/AT互換機で稼働し日本語表示をソフトウェアのみで実現したため、日本にPC/AT互換機が普及する契機となった。日本語表示をソフトウェアのみで行う事自体はマルチステーション5550初期モデルなどに前例があるが、当時のハードウェアの性能向上によりソフトウェアによる日本語表示が実用的になったといえる。 1990年12月、最初のDOS/Vは日本IBMのPS/55シリーズの1機種(ラップトップ2代目である5535-S)の専用OS「IBM DOS J4.0/V」として登場した。PS/55はPS/2ベースなので広義ではPC/AT互換機であり、DOS/V登場時のマイナーバージョンは「IBM DOS J4.05/V」であった。しかし他のPS/55の画面解像度(主流は1024x768ピクセル、初代ラップトップは720x512)に対して5535-SはVGA(640x480)など、「低スペックで互換性の低い専用OS」と思われマスコミでも雑誌でもほとんど注目されなかった。」
アキハバラで、投げ売り状態のIBM純正のDOS/Vアウトレットパソコンを買い、大きな段ボール箱を抱えながら、汗を拭き拭き宅配店を探した思い出が今も残っている。そのパソコンに付属していたのがDOS/V V4だったと思う。一度HDDを交換できるか、ケースを開いて中を覗いた事がある。きれいなプリント基板だろうと思っていたが、手作業で半田付けした配線があったのにはびっくりした。IBMとしてパソコン事業をどのように位置づけるのか、その一端がここに現れているように感じた。大市場に化けると予想されるパソコンで主導権をとるのが最優先だったろう。当時としてはIBMらしくなく機敏な市場対応をしたのだろう。今振り返ると、IBMにとってパソコンはIBMという社名にあるビジネスマシンと異なる家電程度の存在になったと言うことなのだろう。
追記:OS別の使用率統計をWEBで探した。WIN MEは0.02%という数字が出ていたのがあった。統計方式により数値はころころ変わるが、主流から外れている事は確かだろう。予備機としてWIN MEを持っているかという質問ならまだかなりの比率があるのではなかろうか。