残照雑記:当世の語り部

2012年6月29日金曜日
昨日は晴れたり曇ったりの天気。タマリュウの改植。ドクダミが混じっているので手で除草しても不十分。堀上げてドクダミの根を除去しつつ、タマリュウの株分けをして植え直す。株は数倍に増えているので、余った株は別の場所に移植。モデル区画として作業。そこに、近所のおばさんがぶらりとやってきた雑談。もう一人加わり鼎談となった。

2012年6月28日の天気

TAVE= 21.6
TMAX= 26 最高気温(℃) 26.8 15:13
TMIN= 16.7 最低気温(℃) 16.5 04:46
DIFF= 9.3
WMAX= 3.3 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 6.0(東南東) 14:40
SUNS= 3.8
RAIN= 0

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残照雑記:当世の語り部

自分の幼少時代の事を振り返ろうとしてもその時代の事を知っている人は少ない。自分の記憶に微かに残っている事でも、当時の人の記憶には鮮明に残っている。昨日の道ばた鼎談も色々面白く時が経つのも忘れた。近所のおばさんも当世の語り部に思えてくる。そんな事を聞いても、何もならないと言ってしまえばそれまでだ。

トマトを沢山作った話も、昔のことで、ハウスなど無い。田んぼに、竹棒を立てて支柱にしていた。そういえば、そんな光景も思い出す。そうして、あのトマト独特の香りを思い出す。ある時ある人が、地域の人に大勢で押し掛けられて、市会議員に出てくれと懇願されたという話も面白かった。家には、牛馬がいてそいつらの世話が大変だから出ないと断られたという話だ。それならという事で、別の候補者探しが始まったらしい。昔は、出たい人より、出したい人という風習もあったようで興味深くその話を聞いた。

当時の田植えについて。人手の無い農家は、田植え作業を請負に任せたとの事だ。請負は自分の人脈を通じて人足を集めていたらしい。これも田植機が普及する前の情景だったようだ。ともかく、当時の田んぼは、田植えが始まると人々が沢山出てきて活気を帯びてきたのはまだ記憶に残っている。自分は、田植えより、その前作業の苗散らし等をした記憶がある。田植えのプロが田植えをする時は、人に負けまいと必死にがんばるので、ペースの遅い子供は邪魔になるので、除外されていたのではないか。