2012年7月18日水曜日
昨日は晴れ。一昨日に続き熱帯夜で猛暑日。高温注意報が出た。朝は灌水と少し早いが枝豆を少し収穫。上毛新聞に枝豆収穫の記事が出ていた。やはり莢は選別しているようだ。かみさんから禁足令が出て蟄居。伊勢崎は最高気温(℃) 39.1 14:23 と観測記録タイの高温となった。また、関東甲信地方の梅雨明け宣言もあった。天気図は日本が日本海と太平洋の高気圧に挟まれている気圧配置となっていた。いよいよ夏本番だ。室温は34℃ほどになった。ビールは出ないが、枝豆が食卓に出てきた。今年の梅雨明け状況は以下の通り。
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html
地方 平成24年 平年差 昨年差 平年 昨年
関東甲信 7月17日ごろ 4日早い 8日遅い 7月21日ごろ 7月 9日ごろ
2012年7月17日の天気
TAVE= | 30.1 | |
TMAX= | 37.9 | 最高気温(℃) 39.1 14:23 |
TMIN= | 25.2 | 最低気温(℃) 24.9 04:51 |
DIFF= | 12.7 | |
WMAX= | 4.2 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.6(東) 18:23 |
SUNS= | 10.5 | |
RAIN= | 0 |
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環境雑録:約110年ほど前の当地の最高気温はどうだったか
余りの暑さ、その上雷鳴もしてきた。たまたま、「佐波郡 殖蓮村郷土誌」という本を開いたら、明治30年/1897~明治42年/1909の13年間の平均気温データが掲載されていた。その中に、「最高気温ノ極」として、7月の欄に39.1℃(摂氏と明記はないが摂氏が妥当)とある。ところが、観測時刻が10時と明記してある。これだけの記録をきちんととれるのは当時の役所かが業務として観測していたと推測される。問題は、10時に39.1℃とすれば、その日の最高温度は更に高かったのではないかと言うこと。そこで、本日朝10時の気温(33.4℃)との差(5.7℃)を考慮して当時の気温を考察してみた。ピーク値を調べるには連続してデータを測定する必要がある。お役所仕事で定時観測だけだと、「10時に39.1℃」と解釈すべきなのか、今日は暑いと特別に観測したのか。昨日のようなパターンで温度上昇したと仮定すればピークで43.6℃となるが、この値は日本の観測史上のデータ以上のようだ。そうならば、今日は暑いと特別に観測したデータが39.1℃だったと解釈すべきかもしれない。以上から、明治30年代に「39.1℃」の気温が観測されていたのは確かだ。場合によれば更に高温だったかもしれない。今日は特別に暑いからと定時観測以上の観測をしていたとすると、その担当者の熱意でこの記録が残った事になる。ともかく、この暑さにもめげずに貴重なデータを残してくれた先人に脱帽だ。
追記:伊勢崎の日最高気温(℃)の高い方から10位まで( 統計期間= 1998/7~2012/7 )
39.8(2007/8/15)
39.1(2007/8/16)
39.1(2001/7/24)
39.0(2000/9/2)
38.7(2002/8/1)
38.6(2011/7/16)
38.6(2006/8/4)
38.4(2010/7/23)
38.4(2001/8/1)
38.4(2001/7/4)