読みかじりの記(老人モード):「老年と人生(萩原朔太郎著)」を青空文庫で読む。

2013年2月22日金曜日
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.3 04:01。最高気温(℃) 6.7 12:53。ざっそう句:ダイエット 甘くはないぞ 甘酒が。町内行事。その後現場確認。かみさんと雑談していたら、幼子を亡くした人がいて、どのような対応をするのが良いか迷ったとの事。その子を思い出す時はいつも幼い時に戻れのではないかと言ったら、少し気に入ったようだ。

2013年2月21日の天気(AMEDAS)

TAVE= 1.8
TMAX= 6 最高気温(℃) 6.7 12:53 
TMIN= -2.1 最低気温(℃) -2.3 04:01 
DIFF= 8.1
WMAX= 6.6 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.2(北北西) 15:09 
SUNS= 8.3
RAIN= 0

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読みかじりの記(老人モード):「老年と人生(萩原朔太郎著)」を青空文庫で読む。

この作品の冒頭、老醜や生きる事への未練を書いている。特に、芸術家や作家が老醜を恐れる傾向があるのも何となくそう思う。読み進めると、「だが老いということも、実際にはそれほど悲しいものではない。むしろ若い時よりは、或る意味で遥(はる)かに楽しいものだということを、僕はこの頃経験によって初めて知った。僕の過去を顧みても、若い時の記憶の中に、真に楽しかったと思ったことは殆んどない。http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1773.html」と、老年期を肯定的に捉えている部分に遭遇した。

萩原朔太郎は詩人と一面的な見方をしていたが、この作品を読むと、萩原朔太郎は常識人、評論家、哲学者でもあるように感じる。ともかく、老年になって初めて、自分の幼年期、青年期、成人期、老年期と一連の経験を振り返ることが出来るのである。まさに、老年期まで生きながらえてきた余録なのかも知れない。と思ったが...。

この作品の最後は、「して見れば僕のような人間、初老の年を既に過ぎて、馬鹿げた妄想や情熱から、未練に執着を脱しきれないような男は、日本人としては少しケタ外(はず)れで、修業の足りない低能児であるかも知れない。とにかく老年を楽しむために、まだまだ僕は修業が不足で、充分の心境に達していないことを自覚している。」と結ばれている。

その前段には、「しかし日本人という人種は、こうした仏教の根本原理を、遺伝的によく体得しているように思われる。彼らは『徒然草(つれづれぐさ)』の兼好(けんこう)法師に説かれないでも、僕位の年齢に達するまでには、出家悟道の大事を知って修業し、いつのまにか悟りを啓(ひら)いて、あきらめの好い人間に変ってしまう。」と書いている。

よく読むと、老いが楽しみでもあるというのが逆説になっているようにも感じる。まだ、詩人をやめる積もりはないというように感じさせられた作品だ。

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