老人の寝言:国民の末端まで金がまわるかこの日本

2014年1月1日(水)
昨日は晴れ。最低気温(℃) 0.3 23:49。ざっそう句:大晦日 隣は何を 買う人ぞ。年賀状手作り。図柄はコンビニコピーを裁断して糊で貼り付け。あて先と文面は手書き。時間はかけても金はかけない。昨年もらったはがきが見つからない。エクセルの住所録も探し出すのが大変。OSが立ち上がらないXP本体でなくUSBにデータ保存していたので何とか助かった。書いたあて先をエクセルに入力して枚数チェック。数が合わない。俺のエクセルはぼけたか。と認知症の初期段階。おれがぼけていた。行をコピーしてダブルカウント。先日はダブルブッキングで予定を修正するはめになった。はがきには一行あいさつとコメントを付けるというノルマを設けた。人により作業が止まることしばしば。時間がかかる。それも結構ではないか。その結果手作りはがきに同じものは一枚もない。これこそアナログな世界だ。全部書き終えるのはいつになるか分からない。見切り発車で郵便局に向かう。これで一区切りついた。ついでにかみさんに内緒の買い物。本当は言ってきた筈だが。あとから携帯で追加要求が入る。俺ロボットかよ~。スーパーの買い物では、客の買い物籠やカートをちらりと覗いてみた。人様々だが、質素な買い物をしている人も少なからずいるように見えた。

2013年12月31日の天気(AMEDAS)

TAVE= 6.0 NO DATA
TMAX= 13.4 最高気温(℃) 14.0 13:55
TMIN= 1.1 最低気温(℃) 0.3 23:49
DIFF= 12.3
WMAX= 3.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.5(北西) 14:13
SUNS= 9.2 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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老人の寝言:国民の末端まで金がまわるかこの日本

年頭記事が老人の寝言になってしまった。年末年始は何かと金がかかる。当局の政治家、官僚等は流通する金を増やしたから経済が活況に向かうと考えているのか。最近それすらフィクションではないかとおもうようになった。まさに老人の妄言・妄想かもしれない。金が生物の血液と同じように機能すればそれにこした事はない。でも、あるシステムはそれを規定するパラメータに限界値があり、それを超えれば異常動作に陥るのが常識ではないか。バケツに水が半分しかな時に注水すればバケツの機能は100%まで実現できる。しかし、無理してそれ以上注水すればジャジャ漏れになるのは当然ではないか。もっと水を蓄えたいならバケツというシステムを修正すべきなのが本筋ではないか。

日本経済新聞は、「日銀の資金供給、200兆円突破 13年末目標達成 ;http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC2602D_W3A221C1EE8000/(2013/12/26 21:23 )」というタイトルで、「日銀の資金供給量(マネタリーベース)が今年末の目標の200兆円を突破するのが確実になった。マネタリーベースは日銀が4月に導入した「量的・質的金融緩和」の操作目標。「2年で2倍」に増やす方針を掲げ、国債などを大量に買い入れてきた。日銀は2%の物価上昇率の目標の実現に向け大規模な買い入れを続ける構えだ。」と報じた。

そもそも物価上昇が経済目標と言うのも歴史的にみればトンデモ政策に見える。しばらくして注入した劇薬がどこかに回って何らかの効果を現して来るかもしれない。お金に色は着いていないのでお金がどこを回ってきたか分からない。お金に色は着いていないが庶民から見れば自分が持っているお金の色が一番きれいに見えるのではないか。経済や生活の質がお金の流通量で測れると言うのも妄想ではないか。一層の事、お金の流通回数で測った方が金回りはよくなるのではないか。思うに死に金が多すぎる。その死に金が亡霊になって出てくるのではないか。