老人の寝言:神仏への願い事

2014年1月2日(木)
昨日は晴れ。最低気温(℃) -2.2 07:03。ざっそう句:家神の 参道清め 初参り。昨日は温暖で穏やかな晴天。町内行事。朝は我が家のしきたり通り神仏に供え物をして礼拝。外の稲荷さまの周辺はシノや雑草で近づけない。これではお稲荷さんのご加護も期待できない。元旦早々初仕事で周辺の清掃。お稲荷さんは農家の守り神なのか。当地の農家は大抵屋敷内に稲荷等を祀っている。「愛しき古里:東稲荷(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/10/post-0c67.html)。(2013年10月30日(水) )」。ところで、神仏を拝む時の所作、言葉や願い事はどうするのか。

2014年1月1日(水)の天気(AMEDAS)

TAVE= 5.7 NO DATA
TMAX= 13.7 最高気温(℃) 14.4 13:15
TMIN= -1.9 最低気温(℃) -2.2 07:03
DIFF= 15.6
WMAX= 5.8 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 13.0(西) 13:44
SUNS= 8 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA

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老人の寝言:神仏への願い事

かつては、神仏に家内安全、天下泰平、商売繁盛、学業成就等々その時々に願い事を唱えた。庶民の悩み事や望みはその時々で変わる。でも、神仏に関しての願い事は個人やその個人の心の問題ではないか。俺は何を願ったかそれを公言するのもなにか純真さを感じない。

現役時代、出張の空き時間に神社へ行く事があった。寺には門があり入れないか、拝観料をとられたりする場合があるが、神社は大抵無料で入れる。樹木もあり、一服するには良い場所だと思った。たまたま、神前では「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と唱えるという表示を見た事もあった。

幼少の頃、近所の有志が集まって神職を呼んで春祈祷という行事をしていたのを見た事がある。この行事はやがて消滅してしまったが、その時、「祓い給い 清め給え」と唱えられていた事を思い出す。この「祓い給い 清め給え」という言葉は、庶民語では、神さま、諸悪を追っ払って、その後をきれいにして欲しいという願い事にとれるのではないだろか。でも、具合的にXXを追っ払って下さいと願うと滑稽でパロディーめいて来そうだ。「巨悪は眠らせない」というお告げはあるのか。WIKIPEDIA「伊藤栄樹。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%A0%84%E6%A8%B9)」。

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