2014年4月9日(水)
昨日は晴れ。ざっそう句:悪巧み 阿吽の末の 不服かな。大雪対策のDIY。久しぶりのDIYだ。何事も段取りに予想以上の時間がかかる。昨日は釈迦の誕生日の花祭り。幼少時に寺へ甘茶をもらいに行った記憶がある。WIN XPのサポートが終了。フラッシュメモリードライブSSD搭載のWIN XPミニノートPCを入力専用機として使い始めた。起動が早いのでイライラ感は少ない。昨日、NATURE誌STAP細胞論文の筆頭著者が捏造と指弾された事に対して不服を訴えて受理されたようだ。本日は筆頭著者氏の記者会見が行われるようだ。偽ベートーベン問題では作品と作者と依頼者の関係が問題になった。今となって、作品と作者の真偽に関しては争いはない。作品に関する権利の帰属関係がはっきりしていないが、著作権法の範疇の問題で、社会に与える影響は限定的と思われる。
一方、NATURE誌STAP細胞論文の問題は科学立国を目指す日本とっては計り知れない影響を及ぼす懸念がある。明るみに出た論文上の問題は、NATURE誌を土俵にして解決されるべきなのが本筋ではないか。科学論文のタテマエでは、論文の価値と責任のすべてが、その論文は著者のものであるということではないか。言い換えると、著者の帰属する組織とは無関係が前提で科学論文は公表される。このような世界的慣例は、組織という枠組みから生じる弊害を克服して、科学が明らかにする真理の検証と普及を促進するために認められて来たのではないか。
2014年4月8日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 13.4 | NO DATA |
TMAX= | 21 | 最高気温(℃) 21.2 12:52 |
TMIN= | 2.6 | 最低気温(℃) 2.6 05:00 |
DIFF= | 18.4 | |
WMAX= | 8.1 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 15.7(北北西) 14:12 |
SUNS= | 11.7 | NO DATA |
RAIN= | 0 | NO DATA |
Q
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老人の寝言:老人の妄想(背後にに渦巻く思惑は何か?):嗚呼幻のSTAP細胞
資源の少ない日本で、鉛筆と頭脳だけで、ノーベル賞をもらったという話に、幼少時は胸をときめかせた人は少なくないであろう。その著名な科学者の多くが理研で育ったようだ。STAP細胞の作成と言うノーベル賞級の成果が理化学研究所発であり、違和感はなかった。その数ヶ月後、STAP細胞論文に疑惑が指摘され、その流れに暗雲が垂れ込んでいる。火の粉が理化学研究所にまで及びそれをもみ消すのにやっきになっているのが現状なのか。科学という理想からみるとその動きが気になる。組織が科学を独り占めにすべきなのか。科学が巨大化して悩ましい問題が多くなったようだ。
思うに、理化学研究所がSTAP細胞論文著者団の身内関係著者だけを裁く裁判所もどきの動きをしている事自体が科学を冒涜していないか。身内で固めたお手盛り組織で問題がどこまで解明できるのか。エゴ丸出しで調査結果も全幅の信頼が置けないのは明らかだ。日本学術会議会長が本件問題に関して談話を発表している。マスコミがどれほどこの談話を報じたか定かではないが、指摘している内容は穏やかな口調にも拘わらず、理化学研究所に対する厳しくも良心的なアドバイスと理解される内容がいくつも述べられている。
「会長談話「STAP細胞をめぐる調査・検証の在り方について」 (http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-d6.pdf)。(2014/03/19 )」
理化学研究所はSTAP細胞ができたか否かの判断を放棄して調査に突入した。しかし、日本学術会議会長談話等を受けたのか、組織内部でSTAP細胞作成の検証を行うと公表した。極簡単にできるとされていたSTAP細胞作成の理化学研究所以外での成功事例はいまだ一件も無いようだ。理化学研究所には、世界のトップクラスのSTAP細胞作成の人材、研究の蓄積、ノウハウ等々がある。再現検証の重責を担うSTAP細胞論文著者の一人の研究者が会見してSTAP細胞は仮説に戻ったと発言したと報じられている。これは、STAP細胞の再現を試みたができませんでしたという予告のようにもとれる。結果としては、大金をかけたパフォーマンスで終わってしまう可能性が大きいのではないか。
疑問なのは、阿吽の雰囲気の中で密かに行われた陰謀はなかったかという点である。釈迦は生まれた時、天上天下唯我独尊と言ったそうだ。自分の存在に何のやましいことはないと理解できる。また、釈迦入滅の時の教えは、自灯明法灯明だったとか。他人様の光で輝いてはならない。お互いが自分の利益目的のみで寄りかかりあっていると最後は惨めな結果になることもあるのかもしれない。
STAP細胞論文で、筆頭著者は名ばかりが実態のようだ。STAP細胞論文の内容に役割分担は記載されていない。論文の主語にはWeを使っている。役割分担が記載されない共著論文でその内容に共著者全員が連帯責任をとるべきなのが常識ではないか。今回の論文問題は、共著者が呉越同舟の泥船にのっているようで、問題が発覚して首謀者が我先に泥船から逃げ出そうとしている構図に見えてしまう。こんな事態の中で、若い科学者の卵は論文を書く気にもなれないのではないか。残念ながら、理化学研究所の中から、今回の問題に対する自発的な動きがあったとの情報に出会っていない事だ。これこそ、日本科学の将来を予兆する暗雲なのか。