2014年6月27日(金)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 28.5 14:14。最低気温(℃) 17.0 04:38。ざっそう句:老兵の 現役復帰 朗報だ。通路両側の草刈り。直ぐ伸びてしまう。朝、出かける準備中にひょっこり来客。しばし回顧談。葬儀。帰路に給油。セルフだが料金の支払いが少し異なる方式だった。一昨日、バイオチェリーを見たら実が少し色づいていた。試食して見たがまだ酸味が残っている。近所にある不動尊の石像のデジカメ画像を眺めていたら、何やら文字が刻まれているようだった。風化して判読が困難だが、台座とその上の石像本体にそれらしい部分がある。地域の人もその不動尊の由来を誰も知らないと思う。地域誌に書かれている事と対応するのか。デジカメの画素数は、データ保存を考え余り大きく設定していない。画質もNORMAL普通画質。画素数を増やし高画質で撮影すれば読めるか。デジカメより肉眼で確認するのが先かも知れない。
2014年6月26日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 22.9 | NO DATA |
TMAX= | 27.5 | 最高気温(℃) 28.5 14:14 |
TMIN= | 17.1 | 最低気温(℃) 17.0 04:38 |
DIFF= | 10.4 | |
WMAX= | 3.6 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 8.7(東南東) 18:23 |
SUNS= | 9.3 | NO DATA |
RAIN= | 0 | NO DATA |
Q
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田舎老人徒然草:輪廻のトンネル:これは比丘尼像墓石か?
市内ウオッチングしていた時、あるお寺に迷い込んでしまった。お寺の庭の奥が墓地になっていた。お目当ての墓があるわけでもないのでゆっくり内部を一周した。なぜ人間は墓を作るのか、漠然と考えていたのかもしれない。
最近は、死ぬ前に身辺整理をする、就活ならぬ終活も注目を集めているようだ。墓の事まで生前に本人が決めてしまっては、残された者の立場はどうなるのか。
たまたま、やや大きく立派な女性像をかたどった墓石があった。多分、墓地なので単なる石像ではないと思う。同じような形象墓石は小さいのはかなりあったが、大きいのは少ないので目にとまった。
記された年号を見ると、形象墓石は明治以後の近代には少なく、江戸時代に多いような印象を受ける。近代の墓石は直方体が基本のようだ。手間はかからないので、合理的なのかもしれない。
その墓石に刻まれた戒名は心誉真運比丘尼と読めた。辞書によると、比丘尼とは具足戒を受けた女子とある。更に、具足戒を調べると比丘・比丘尼が守るべき戒とある。比丘には250戒、比丘尼には348戒があるとの事だ。比丘尼の方が約4割増しの戒がある。ところで、戒名と墓石像と戒の多さを考えると、この墓石を建てた人の気持ちも幾分理解できるのではないか。身分制度が厳しい江戸時代に、戒律が厳しい尼僧になり、死後にその尼僧の行徳が顕彰されてこの墓が生まれたとも考えたくなる。
真運とは、尼僧として厳しい戒律を自らに課し、それを自分の運命と見定めて活動した尼僧の生前の姿ではないか。心誉とは、生き残った関係者が心から立派な生涯であったという賞賛を込めた戒名のようにも感じる。
ここで、「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(8)=おもとさんの墓(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/07/8-507d.html)。(2013年7月7日(日))」を思い出した。写真は二つの墓を並べたもの。左がおもとさんの墓。