2015年6月11日(木)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 31.6 14:36。最低気温(℃) 18.7 05:12。ざっそう句;愚痴ばかり 口無しの香を 誉めたくも。某氏相乗りで用事外出。帰路別行動。ついでに買い物。夕方手伝い。天気は良いが、農作業は休み。昔、我が藁葺きの家の隅に、クチナシの木があった。白い花が咲き、香りが良かった。染料として使ったのかも知れない。クチナシの実は飯や食物の着色に使えるのだ。その木もいつしか無くなった。懐かしい匂いを嗅いでみたいと思い苗を買って植えたが、その苗は今どうなっているのか。他家の庭にクチナシの花が咲いていた。八重咲きだ。漢字の「梔(クチナシ)」は、その木の実が水差し(旁の部分)に似ているからのようだ。「梔」という漢字に「クチナシ」という訓読みを当てたのは、クチナシの実の先端がすぼんで口が無いように見えるからか。
弁護士ドットコムニュースは、「「あまりに傲慢」自民・村上議員が「安保法制反対集会」で自民党執行部を批判(全文)。;http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3220/。(2015年06月10日 15時47分))」というタイトルで、「自民党の村上誠一郎衆院議員が6月10日、日弁連が主催した安保法制に反対する集会に出席し、自民党の執行部を「あまりに傲慢」と批判した。会場には弁護士や野党議員ら190人が参加し、それぞれ安保法制に批判的な意見を述べていたが、集会の途中で、与党・自民党に所属する村上議員が姿を見せ、マイクを握ると大きなどよめきが起きた。」と報じた。
旧来の主要メディアは、大政翼賛会になってしまったのか、国民の死活にかかわるニュース報道に、「口無し」を決め込んでいるようにも見える。報道機関の口がすぼんでしまえば、最早社会的な存在意義はなくなってしまわないか。
2015年6月10日の天気(AMEDAS)
TAVE= | 24.9 | NO DATA |
TMAX= | 30.9 | 最高気温(℃) 31.6 14:36 |
TMIN= | 18.7 | 最低気温(℃) 18.7 05:12 |
DIFF= | 12.2 | |
WMAX= | 4.9 | 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 9.1(南東) 17:24 |
SUNS= | 11.8 | NO DATA |
RAIN= | 0 |
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身辺雑記・田舎老人徒然草:さつき展を見る!
先日、たまたま県庁ホールで開催されていたさつき展を見た。我が家では、縮伐カット&トライ(植木の寸詰め)で、大きくなった植木等に手を焼いているのが実状だ。盆栽を見ると、荒っぽい寸詰めより数段手の込んだ寸詰めが勉強できる。
植木や盆栽も、完成したら、その状態で保存できれば、最高だろう。しかし、ある状態が最高だと思っても、良く見るともっと改良したくなるのかも知れない。そのため手入れを続けると終わりが見えなくなりそうだ。
従って、盆栽的な趣味には深入りしたくないと思っている。展示会中も、係の人が、丁寧に水くれをしていた。展示会は、育成者の最高の出場所だろう。やはり、努力や苦労の成果を見てもらいのはやり甲斐があると思う。
サツキ園芸は枝、葉、幹、根という樹木全体に加えて、花を咲かせるという芸も必要になるので、その分の面白さもありそうだ。だが、樹高は押さえられても、花の大きさが変わらないのが、自分にはどうしても不自然に見えてしまう。というのは、花の大きさや咲く時期等は遺伝的に決まっていて、園芸技術の対象にできないという難問があるのかもしれない。
現役時代、半導体の仕事をして、機器の小型、省電力化が生活上も非常に有効だと実感した。それなら、現在ある、草花、花木等のサイズを1/100程度にできれば、結構な値段で売れるかも知れないと思った。ともかく、生活の中に、生命のある植物が育っているのを見るだけでも、結構時々の慰めになる。
大阪駐在時には、単身赴任で、徒然なるままに、野菜の種でモヤシ状の水栽培をして眺めた。自宅に帰って、数日後に社宅の水栽培を見ると、干からびている事もあった。そんな事の中にも、生命現象を見る事ができるのだ。
Googleでキーワード「箱庭」を検索(https://www.google.co.jp/webhp?tab=ww#q=%E7%AE%B1%E5%BA%AD%E3%80%80site:http:%2F%2Faf06.kazelog.jp%2F)。
スケールダウンした植物とミニサイズのフィギュアがあれば、本当の生き物がいる箱庭ができる。今時の子供は、そんな箱庭で遊ぶだろうか。だが、バーチャルよりリアルの世界を体験する事が大切なのは論を待たないだろう。
現実に戻って、作品を出展したらしい人に色々聞いてみた。ちょっと見の幹の太さだけでは、サツキの樹齢は分からないとの事だ。畑に植えれば、幹は太りやすい。鉢に植えればその逆で、育成に手間暇がかかる。そう考えると、盆栽も、色々な条件付きゲームのように見えてくる。生かさず、殺さず、芸をさせるとは、相当高度の技術に違いないのだが。