老人の寝言:心にI(アイ)が無ければ相手の胸に響かない?!;赤信号 皆で渡る 安倍談話。1508。

2015年8月15日(土)
昨日は曇り一時雷雨。最高気温(℃) 30.6 14:46。最低気温(℃) 23.8 04:39。ざっそう句;赤信号 皆で渡る 安倍談話。古来、盆と正月が諸用が集中して忙しい時期である。お盆までの一年の間に故人となった人の霊は新盆として迎える風習があるようだ。忙しさを分散させるため、新盆の見舞いを8月14日にするという風習もある。新盆用の盆棚を別に作るという風習もあり、盆棚二台を並べる家もある。買い物と用事外出。帰宅雑用後再度用事外出。古本。テレビで途中から安倍首相の戦後70年談話発表に際しての記者会見を見る。来客。一緒にテレビを見る。本日は終戦記念日。お盆と終戦記念日は偶然の一致のようだが、戦争と平和を振り返る良い機会だ。

2015年8月14日の天気(AMEDAS)

TAVE= 25.6 NO DATA
TMAX= 29.7 最高気温(℃) 30.6 14:46
TMIN= 24 最低気温(℃) 23.8 04:39
DIFF= 5.7 NO DATA
WMAX= 4.1 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 10.7(西北西) 15:45
SUNS= 0.4 NO DATA
RAIN= 24.5 NO DATA


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老人の寝言:心にI(アイ)が無ければ相手の胸に響かない?!

生活の中で良く遭遇する波動・振動という現象の中に、共鳴という特性も含まれる。波が重なり合うと、その揺れ幅が大きくなるし打ち消し合って小さくなる事もある。人が発するメッセージにもこの共鳴の要素が含まれている。多くの人々に、また敵にも味方にも、外国にも国内にも良く響くメッセージは歴史として、人々の胸に刻まれるのではないか。

いよいよ戦後70年安倍談話が発表されたが、まだ中身が分からない。そこで、WEB情報で談話全体を読もうとしたが、結構長い。村山談話や小泉談話とどこが違うのか。

先日、安倍談話を理解するために、村山談話と小泉談話を一読した。村山談話と小泉談話には、国家運営の最高責任者として「私(英語のI)」という一人称単数が使われており、その談話に村山氏、小泉氏が内閣総理大臣としての生命をかけているという意義を自分なりに理解したのである。

拙速ながら、今回の安倍談話の中の「私」を検索したが、発見されたのは一人称単数の「私」ではなく「私たち」という一人称複数であった。一体これはどうした事か。閣議決定した事により、この安倍談話の責任は、閣僚全員にあるのだから、「私たち」にしたのだろうか。

ずっと以前、「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない。」という言葉を聞いたような記憶がある。調べてみると、この言葉は聖書の中の一節との事だ。

戦後70年安倍談話には、「愛する家族」とう形で「愛」が一回だけ登場するが、「I」は登場しないようだ。記者会見のNHKテレビ中継を見ているといつもの国会答弁と異なり、あの能弁さが見えなかった。会見終了後の質疑も、プロンプターの文字を慎重に追っているだけで、何か異様な雰囲気を感じさせた。国民はこのような変化を敏感に感じ取っているのではないか。一体、何があったのか。

響くとは、まさに波の震源から発したメッセージか先方に到達して共鳴し合うという事ではないか。歴史は解釈や言い換えだけで書き換えられないのだ。一度出された談話は最早取り消しも弁解も効かず、歴史の試練に耐えなければ歴史に残らない。安倍談話に対する反響・評価はしばらく様子を見ないと何とも言えない。戦後70年安倍談話がどのような響き方をするか注目したい。

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