老人の寝言:何も起こらない夏空の有り難さ!;敗戦日 入道雲が 浮かぶだけ。1508。

2015年8月16日(日)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 34.2 15:20。最低気温(℃) 23.4 05:47。ざっそう句;敗戦日 入道雲が 浮かぶだけ。朝から立派でムクムクとした入道雲が立っている。雷雨になるか少し心配。某氏宅訪問。お盆という縁で焼香して雑談。あの人が~と消息話etc。そこへ更に来客。三名の雑談に花が咲く。さあ、そろそろ昼飯時だ。お暇してコンビニに立ち寄る。正午前、某店の前でテレビを見るが、見たいチャンネルではなかった。午後は、予定の行事を見学。帰宅して一服。来客。頂き物で夕食。

毎日新聞は、「終戦の日:天皇陛下「深い反省」…全国戦没者追悼式。;http://mainichi.jp/select/news/20150815k0000e040170000c.html。(毎日新聞 2015年08月15日 12時05分(最終更新 08月15日 15時31分)))」というタイトルで、「 70回目の終戦記念日の15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら約7000人が参列した。安倍晋三首相は式辞で「戦争の惨禍を決して繰り返さない」と不戦を誓った。天皇陛下は、おことばで「さきの大戦に対する深い反省」に戦没者追悼式で初めて言及された。」と報じた。(このサイトへのリンク

一国の指導者の腹と口の動きが同期していないのに、戦前の悪夢を見る思いがする人が多いのではないか。人は、口の動きから腹具合を探られるようでは、はな腹不愉快かも知れないが。

2015年8月15日の天気(AMEDAS)

TAVE= 28.2 NO DATA
TMAX= 33.7 最高気温(℃) 34.2 15:20
TMIN= 23.7 最低気温(℃) 23.4 05:47
DIFF= 10 NO DATA
WMAX= 2.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.2(東南東) 18:19
SUNS= 10.5 NO DATA
RAIN= 0.5 NO DATA


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老人の寝言:何も起こらない夏空の有り難さ!

ひょっとすると雷雨になるかと危ぶんだが、無事だった。70年前、伊勢崎の市街地は米軍のB29による空襲で大きな被害を受けた。今では、その爪痕を探すのも困難な状況だ。

朝、家を出て、停車中にムクムクと入道雲が立っていたのを見ても、伊勢崎空襲の事は思い出さなかった。丁度70年前の未明に伊勢崎の上空は焼夷弾で明るくなるほど爆撃された。

WIKIPEDIA「伊勢崎空襲。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B4%8E%E7%A9%BA%E8%A5%B2)」(このサイトへのリンク

WIKIPEDIA「焼夷弾。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E5%A4%B7%E5%BC%BE)」(このサイトへのリンク

Googleでキーワード「焼夷弾」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?q=%E7%84%BC%E5%A4%B7%E5%BC%BE&hl=ja&biw=1024&bih=477&noj=1&site=webhp&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved)。(このキーワードでGoogle画像検索

Googleでキーワード「クラスター爆弾」を画像検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&biw=1024&bih=477&noj=1&site=webhp&tbm=isch&sa=1&q=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%88%86%E5%BC%BE)。(Googleで画像検索

この70年間で武器の進歩も目覚ましいだろう。

Googleでキーワード「安保法制 武器OR弾薬OR核兵器 輸送」を検索(https://www.google.co.jp/search?hl=ja&biw=1024&bih=477&noj=1&site=webhp&q=%E5%AE%89%E4%BF%9D%E6%B3%95%E5%88%B6%E3%80%80%E6%AD%A6%E5%99%A8OR%E5%BC%BE%E8%96%ACOR%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%80%80%E8%BC%B8%E9%80%81)。(Googleで検索

世界のどこかで戦争が起き、その時の武器輸送という任務を、自衛隊が行ったら、その運ばれた武器による被害国・被害者はどう思うだろうか。伊勢崎空襲は米軍の日本に対する最後の空襲であった。その空襲と身近な幼児体験が結びついていなかった。

幼少時の微かな思い出に、我が家の蚕屋で生活していた人がいた。その人とは殆ど交流が無かったように思うが、記憶に残っていないだけかも知れない。疎開してきて、養蚕をする建物で一時凌ぎの生活をしていたようだ。その人には自分の仕事はあったようだ。だが、何か全然思い出せない。今、振り返ると、終戦直後は、養蚕も十分復活していなかったのかも知れない。それで、疎開者の受け入れができたのではないか。

社会が安定してきて、その疎開者もいなくなった。それがいつの事かもはっきりしない。上記WIKIPEDIA記事によると1943戸の家屋が焼失したのであり、焼け出されて我が家に落ち着いたのか、戦時中から疎開したのかも今は知る由もない。だが、幼少時に戦争疎開者と身近に生活していたのだ。

夕方は、雲が厚くなった。日本の敗戦が確定してから70年。当時の8月15日とその70年後の8月15日とどこに違いがあるのか。WEBニュースによると、天皇陛下のお言葉の後半、「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。 」の中で、今までにない「さきの大戦に対する深い反省と共に」という文言が新たに追加されているとの事だ。あの大戦という貴重な体験を風化させてはならない。言わんや、戦前への逆行は決してあってはならないと改めて思うのである。

戦いが終わり、爆撃機や爆弾・銃の音が止まり、入道雲が浮かんでいるだけの夏空の有り難さを感じる。

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