歴史の転換:身辺雑記:田舎老人つれづれ草:日本国憲法産みの苦しみを読む!;腹一杯 食って忘れる 敗戦日。1508。

2015年8月19日(水)
昨日は晴れ。最高気温(℃) 34.8 14:38。最低気温(℃) 23.7 04:36。ざっそう句;腹一杯 食って忘れる 敗戦日。雨が上がったが、畑の雑草には雨露が残っている。長靴を履いて雑草をかき分け二回目コーンを全部収穫。ついでに、コーンを引き抜き、雑草も三角ホーで掻き出し、ジャガイモを植えるスペース作りの準備をした。汗でビッショリ。一回目コーンより全体的に品質が低く、虫食い、歯ぬけ等も多い。それでも、腹一杯食べられた。三回目コーンは雄穂が出ている所だ。

2015年8月18日の天気(AMEDAS)

TAVE= 28.6 NO DATA
TMAX= 33.9 最高気温(℃) 34.8 14:38
TMIN= 24 最低気温(℃) 23.7 04:36
DIFF= 9.9 NO DATA
WMAX= 3.9 最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) 7.6(西北西) 19:41
SUNS= 10.5 NO DATA
RAIN= 0 NO DATA


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歴史の転換:身辺雑記:田舎老人つれづれ草:日本国憲法産みの苦しみを読む!

終戦の申し子のような自分であるが、その当時の記憶はほとんど無い。一般に記憶が残ると考えられているのが生後3年目頃からのようだ。

このようなヒトが生誕直後の記憶をほとんど失う現象を幼児健忘症という事を最近知った。実際は、生まれたての幼児でも、胎児でも記憶能力を備えているが、記憶の保持期間が短いので、記憶は無いと見られてしまうようだ。生後3年目頃以降の記憶は、生起した事象と関連づけられてエピソード記憶として長く保持されるようだ。

幼児健忘症という現象で、生まれた直後の記憶が思い出せないというのも、ヒトの進化と関連しているのか。ともかく、自分の記憶では、飢餓に直面した記憶は無い。良く食べたのは、茹でた里芋だ。トウモロコシも食べたようだが、当時のとうもろこしは、品種改良もされていなかったようで、生食より、粉食にされていたのか。友人の家に、ポップコーンを作る機械があったので、トウモロコシの実を持ってゆき、ポップコーンにして食べた記憶がある。おかずが何も無い時、飯に砂糖をかけて食べた記憶は今も忘れられない。

ところで、敗戦により、戦前の日本が戦後の日本に生まれ代わった歴史にも、幼児健忘症に類する現象があったのか。そもそも、国家はヴァーチャルな存在で、これが国家という存在だと具体的に示す事は、元々不可能なものらしい。

国家の存在を規定する基本文献が憲法だろう。極論すると国家という概念は有限な文字列で規定される。インドで思い出すのは、東京裁判に関わり、少数意見を出したパール判事とインド憲法の起草に中心的な役割を果たしたアンベードカルという指導者だ。

WIKIPEDIA「ラダ・ビノード・パール。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB)」(このサイトへのリンク

WIKIPEDIA「インド憲法。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E6%86%B2%E6%B3%95)」
この記事によれば、「英語版では全部で117,369文字に及ぶ。」という。インドの憲法は膨大だと聞いたような記憶があるが、その憲法の起草に中心的な役割を果たしたアンベードカルという人物は全く知らなかった。(このサイトへのリンク

WIKIPEDIA「ビームラーオ・アンベードカル。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%AB)」(このサイトへのリンク

WIKIPEDIA(英語版)「B. R. Ambedkar。(https://en.wikipedia.org/wiki/B._R._Ambedkar)」(このサイトへのリンク

アンベードカルを筆頭に、インドが憲法の制定に注いできた熱意を感じる。やはり、多くの民族や階層からなる国家を統治して行くには、その統治の基本原則を憲法として定めなければ、国家が存続する事すら危ぶまれるのではないか。

最近、「戦後秘史-5 マッカーサーの憲法 大森実著(昭和56年 株式会社 講談社)」を拾い読みした。本書の「第六章 第九条の新証言」のサブタイトルに、「戦力否定条は天皇の発想」という条があり、著者が「マッカーサーの憲法原案」の起草者チャールズ・ケーディスに取材して、その新証言を引き出した事が書かれている。

本書は著者が、内外の動きから日本国憲法が生まれるまで真相を、著者のジャーナリストとしての視点から解明を試みた労作であろう。特に、米ソの冷戦という時代の動きも見逃さない所に、国際ジャーナリスト躍如という面も見せている。各章を読み進み、最後の結語を読むと著者の嘆きも理解できる。日本は単に、資源や兵器多寡で負けたのでは無い。その本質の一端は本書を読めば分かるのかも知れない。著者の結語は今も何かを語りかけているのではないか。

著者は、本章の最後に以下のように記している。少し長いがそれを引用しておく。
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「歴史は悠久にして、自然の大河のごとく、一本の流れを構成するものであろうが、憲法も、また、国家の政体を悠久の流れの中に条件づけるものでなければならない。 明治欽定憲法制定以来の長かった戦争から戦争への”歴史”が破られ、日本帝国が大音響を立てて崩壊したとき、ポツダム宣言を無条件に受け入れなければならなかった過酷なる環境ではあったが、『マッカーサー憲法』の押しつけをめぐる、わが国の憲法制定秘史は、日本国民にとって、かくのごとき恥辱にみちた秘史であったばかりでなく、あまりにも明確さを欠いた史実を埋蔵しつづけてきたのである。このようなGHQ御仕着せの方法によるに非ざれば、真に自由で、民主的な政体が生み落とされなかったのである。それを反省してみるとき、もっと激しく、もっと強烈なる恥辱の思いにかられるのは、一人、筆者だけではないだろう。」
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国家が生まれ変わるには、憲法が変わる必然性があった。日本国憲法が生まれるまでの歴史は相当詳しい資料が残されているようだ。その知られざる闇の部分に光を当てたのが、日本有数のジャーナリスト大森実の功績ではないか。本書は日本国憲法が生まれてくる過程をたどり、当時生存していた、日本憲法の誕生に関わったキーマンに取材している。本書により、大森実のジャーナリスト魂も垣間見る事ができるのではないか。本書は、日本憲法の誕生に関して、歴史の幼児健忘症に陥ってはならないと教えているようにも感じられる。

WIKIPEDIA「大森実。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E5%AE%9F)」:「大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 2010年3月25日 日本時間3月26日)は日本のジャーナリスト。兵庫県神戸市出身。」(このサイトへのリンク

著者が、最近のご都合主義者達が解釈で憲法の読み方を変えるような事態をが見たら、どんな感想を発しただろうか。

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