2017年12月3日(日)
昨日は晴れ。ざっそう句;先走り 使い始める 新手帳。少し早起きして畑を見る。8時過ぎだが。朝日が当たっている部分の降霜が溶けて朝露になり、日陰の部分が霜で白く見える。アメダス最低気温(℃)=0.9、6:44。風速=北北東0.4m/s、7:00。無風に近く気温が0℃近くなると大気中の水分が冷却して霜が降りるようだ。WIKIPEDIAの「霜」によると、「霜(しも, 英: frost)とは、0℃以下に冷えた物体の表面に、空気中の水蒸気が昇華(固体化)し、氷の結晶として堆積したものである。地中の水分が凍ってできる霜柱(しもばしら)とは異なる。」微視的には、空中で評決した水蒸気がサラサラと降るのか、水蒸気が湯気のようになり降下してから氷結するのか。遅い昼食後、野暮用の配り物を分別。一仕事して、昼食後に超老人モードで配布。その後は、落ち葉と枯れ草で殺風景になった庭の手入れをした。レーキで掻き出したが、グランドカバーのタマリュウは綺麗にならない。芝やチガヤ等の雑草が一緒に密生している。結局、掘り上げて改植する事にした。夕方、寒くなったので途中で撤退。百均の手帳を使い始めた。カレンダーの配布も始まった。今年の流行語大賞のニュースを聞くと年末年始の慌ただしさを感じ始める。今年は、忖度という、麗しい配慮を示す言葉が、曰く言いがたい損得に関係した灰色の言葉に成り下がった年でもある。当BLOG内でキーワード「森友学園」を検索すると2017年2月27日 (月)が初出だった。CEEK.JPでの検索結果を乗せていた。「加計学園」の初出は、2017年4月4日(火)で『duckduckgoでキーワード「加計学園 安倍」を検索』であった。このモリ・カケ両事件は、平成日本を代表する黒い霧事件になったと思う。腐った人心があふれ出た。モリ・カケ両事件は解決しない限り日本の地雷原として日本人の人心に悪影響を与え続けるのでは無いか。政治家も官僚も信頼を失い冷ややかな目で見られ続ける。年が改まり、年号が改まっても、モリ・カケや類似問題が続くようでは情けない。
朝日新聞デジタルは、「今年の流行語大賞に「インスタ映え」と「忖度」;http://www.asahi.com/articles/ASKD14F1FKD1UCLV00R.html(塩原賢 2017年12月1日17時02分)」(このサイトへのリンク)というタイトルで、「今年の世相を反映した言葉を選ぶ「2017ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)が1日、発表された。年間大賞には、SNS「インスタグラム」に投稿した写真がひときわ映えたかどうかを意識した「インスタ映え」と、森友・加計学園問題で盛んに使われた「忖度(そんたく)」が選ばれた。」と報じた。
原ファイル名=「IOB_2017_KOUSOU_NINNIKU_霜のあったニンニク畑20171202.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
霜 - Wikipedia
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愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(6):篆額を書いた衆議院議員 細埜(細野)次郎とは?
矢島昇の墓碑の篆額を書いたのは、細埜次郎と記されている。「埜」は常用漢字「野」の異字体でWEB検索時に注意が要る。細野次郎は、知る人ぞ知る名士であったが、今では知る人も少なくなっている。華蔵寺公園の遊園地東側の広場に、見上げる程大きな細野次郎顕彰碑が建っている。残念だが、その説明板は見るに堪えない状況であった。
原ファイル名=「IOB_2017_YAJIMA_NOBORU_NO6_地域の教育力の源泉を探る.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
細野次郎を紹介している「DISCOVERY - 伊勢崎銘仙アーカイブス」の「DISCOVERY 新たな資料の発見」(http://iga.justhpbs.jp/discovery.html)(このサイトへのリンク)の年譜によると、「明治35年(1902)~大正 2年(1913)衆議院議員」であり、奇しくも建碑の時に、矢島昇の年齢に近かったのが分かる。
この記事も、前記サイトの記事を参照させて頂いている。ともかく、明治時代以後、四民平等というタテマエになったが、明治時代は、全ての成人が選挙権を持てる時代では無かった。衆議院議員と言えば、選良中の選良だったはずだ。そういう、人物が矢島昇の墓碑の篆額を書いた事は、当時の矢島昇の地位を示しているのかも知れない。
当時の衆議院議員程の政治家は、揮毫をしたり、篆額を書いたりと、文芸の方面でも優れた資質を持っていたのだろう。当世の議員二期生に関しては、篆額などを書いた本人も、書いて貰った方も、安心できなくなるだろう。
原ファイル名=「IOB_2017_HOSONO_JIROU_DAN_無益なるかな女子の高等教育_細野次郎談M45.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
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尚、たまたま、国立国会図書館サーチで「細野次郎」を検索すると、「無益なるかな女史の高等教育」という談話を乗せたデジタル画像の「娘問題 (扇谷 亮 著)」という書籍があった。それを加工してここに掲載する。女史は女子の変換ミスだった。細野次郎の次に「離縁する気で嫁に行く 山脇高等女学校長 山脇房子 女史談」という記事が掲載されている。明治後半は既に、女性の校長がいた時代なのだ。細野次郎も女性の内助の功で代議士になれたのか。ここでは、上州かかあ天下に免じて代議士先生の皮肉と解しておく。
原ファイル名=「IOB_2017_ZAIKAI_HOSONO_財界の侠士 細野次郎M45.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
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更に「財界一百人(遠間平一郎著)」と言う本の「財界の侠士 細野次郎」という記事も面白い。矢島昇の墓碑に名を残しているのは、財界の侠士たる風格故か。この記事もここに掲載する。
原ファイル名=「IOB_2017NUKIGAKI_HOSONO=弱いもの苛めは男子の忍ぶ処に非ず=財界の侠士 細野次郎S.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones
「朝鮮問題同志会」は当時の朝鮮併合を推進した政治団体のようだが、WEB情報は非常に少ない。『弱いもの苛めは男子の忍ぶ処に非ず』はテキスで書き出した。まさに天下の侠士 細野次郎たる所以だろう。今日の日韓・日朝問題も歴史を遡ればその前史があり、問題の奥深さを感じる。
Go!伊勢崎の細野次郎肖像はこちら
愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(5):松村琴荘とはどういう人物だったか?;小春日や ゲートボールも 花盛り。171130。 を読む
愛しき古里:地域の教育力:明治中期の地域小学校校長だった矢島昇を知る(7):上植木地区にある墓碑等;妻第九 オレが聞くのは 話だけ。171204。 を読む
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2017年12月02日 伊勢崎(イセサキ) | ||
TAVE= | 6.2 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の平均値 |
TMAX= | 11.6 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値 |
TMIN= | 1.2 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最小値 |
DIFF= | 10.4 | 毎正時のアメダス観測値(気温)の最大値と最小値の差 |
WMAX= | 3.6 | 毎正時のアメダス観測値(風速)の最大値 |
SUNS= | 9.1 | 毎正時のアメダス観測値(日射)の合計値 |
RAIN= | 0 | 毎正時のアメダス観測値(雨量)の合計値 |
1日の極値 | データ | 時刻 |
最低気温(℃) | 0.9 | 6:44 |
最高気温(℃) | 11.9 | 13:41 |
出典=気象庁 | 参照⇒ | AMEDASへのリンク |
最大瞬間風速(m/s)(風向(16方位)) | 6.6(南南東) | 13:42 |
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