2018年3月23日(金)
昨日は曇り一時晴れ。ざっそう句;赤く咲き 棘ある惚けに 民が泣く。配り物の束から分別した回覧資料を回すのを忘れていた。少し遅れたが隣家に届ける。一昨日から昨日の朝にかけて合計約27mmの降雨があった。午後は晴れ間があったので畑に出た。スーパーで買ったジャガイモを種芋として植える事にした。土は重く、鈍った体に応える。品種は忘れかけているがメイクィーンとキタアカリではないかと思う。レジ袋に入れて放置していたので、少し芽が出ていた。買った食品はそのまま食べるのが一番確実だが、それを少しでも増やそうとする魂胆なのだが、リスクもある。何かの本で読んだ芋文化と米文化の違いを思い出す。要するに芋は、交換・保存・蓄財に向かないのだ。米はそれが可能なので、米文化地帯には貧富の差が出来、権力集中が進むとか。日本では長らく米が通貨として経済の中心に位置していた。民は税として米をお上に差し出さねばならない。飢饉の時は、苗に使う種籾まで食べざるを得なかった。それでも、食べられれば良かったが、餓死者が多数出た。ジャガイモ数個を植えずに残した。四月に遊びに来る連中が植えるためだ。税は昔も今も民に重くのしかかる。庭先の木瓜の蕾が膨らんでいる。この木瓜には棘があるので剪定もやりにくい。昔は実が成ったが、最近は見ていない。木瓜で思い出すのが、国会で罷り通っている、知らぬ存ぜぬという口裏合わせの惚けである。赤く咲く木瓜を不用意に掴むとその棘に反撃される。政治家や官僚がグルになって国民の血税を、濡れ手に粟のように特定の個人に流して俺は知らぬ存ぜぬと白を切る。これじゃあ、江戸時代の悪徳役人以上の悪質振りではないか。いつになったら東山の金さんが動き出すのか。東山の金さんは江戸町奉行という設定だそうだ。江戸時代の勘定奉行は、現代の財務大臣相当職か。江戸時代なら、将軍様からお奉行さま、更には末端の小役人まで巻き込んだ壮大な不祥事が現在この文明国日本で進行中なのだ。それがテレビドラマで終わっては日本の将来に禍根を残すのは明白では無いか。いつから、日本はこんな国になったのか。
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以下は刑法の一部である。
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2008/9/22
蛍が飛び交った頃(改題):雑木の歌:愛しき古里:記憶に残る古里農村の原風景
追記(2018/03/19):この過去記事は、ほぼ10年前に書いたが、読みにくさがあるので、読み易く整形、再読して、印象・コメント等を追記して再利用。この記事の後半に父の少年時代の話がチョットだけ出てくる。のどかな、大正時代後半の子供達の遊びの風景だった。自分の少年時代は、終戦後10年間前後だったろう。まだ、田畑や自然の風景は、父の少年時代とさほど変わっていなかったと思う。
そんな、のどかな風景を詠んだ歌からこの記事を書き始めた。書いたのは、夏から秋に季節が移ろうとしていた時のようだ。
うねうねと 小川流れる 田植え時 夕日落ちれば 蛍飛び交う
外ではしきりにコオロギが鳴いている。それなのに何か蛍の事を思い出す。ほのかに光る物に対する憧憬があるためか。
当地区は、従来より数日繰り上げて種籾消毒を5月1日に行うようになった。これで、稲作の行程が、繰り上がった分だけ早まる。種籾を蒔いてほぼ一か月後の6月中前後頃からだったのだろうか。
昔の田は何となく曲線が多かった。川もその田に沿って流れてうねうねしていた。コンクリートが使われていたのは、水路調整の関の部分だけであった。所々に、ネコヤナギやシドメ(くさぼけ)等の小さな雑木も生えていた。夕方頃になるとそれが一枚の絵になった。
今日、土地改良事業等で田は大体広い矩形をしている。水路は直線の三面コンクリートになり、水は勢い良く流れる。蛍の幼虫と餌のカワニナが生育するには流れが早すぎるのか。
反対にうねうねした川の水流にはあちこち淀みが生じる。やはり、蛍が生息しやすい環境がうねうねした小川にあったのだろう。
昨年、稲の刈り取りが終わった頃の用水路に小さな魚を発見した。だが、その水路の水源の沼の水は堰き止められており、最終的には水路も干上がってしまったようだ。多様な生物が生息していた昔の水田地帯に、魚が戻って来たようだが、まだまだ昔まで戻れないのが実情のようだ。
半端道楽:環境雑録:田圃の用水路に魚が戻って来た!;心怯え 言勇ましく やけっぱち。170920。 :この記事へのリンク
八幡沼水系の蛍の保護をしている友人がいるが、沼で養鯉をしていて、農薬の使用が控えられていたので、蛍の幼虫が生存できたらしい。その水路が断水すると、幼虫の生存が脅かされる。現在も蛍を観賞できているのか。
Go!伊勢崎 ほたるが舞う地( http://www.go-isesaki.com/hotaru.htm)(このサイトへのリンク)
これは、父から聞いた話だ。蛍を沢山とって、川端で野糞をたれて、その上に蛍を放つ。誰かが、蛍の下の物をつかむと皆で喝采する。他愛のない子供の遊びだったがそれも昔話になってしまった。
昔の水田地帯や小川・水路は子供の遊び場でもあった。魚捕りも、その水路に沿って移動するのである。一番多く通った水路は、庚申塚~鯉沼、次は庚申塚~男井戸池のルートであった。庚申塚には、コンクリートの洗濯場があった。この洗濯場が当時の女衆の社交場でもあった。
記憶の中の風景は、現在の風景から大きく変わってしまった。だが、まだ地形的な大きな構造は昔のまま残っている部分もある。
残照雑記:身辺雑記:田舎老人徒然草:今は無い男井戸池はどこ?;ライオンも 吠え続ければ くたびれる。170119。:この記事へのリンク
残照雑記:身辺雑記:田舎老人徒然草:今は無い男井戸池はどこ(PART2)?過去の航空写真から探す;トランプの 札読みきれぬ 占い師。170120。:この記事へのリンク
米軍が撮影した航空写真と国土地理院航空写真を比較するとその変化が見て取れる。自分の記憶に中に残る古里の農村の原風景をどれだけ伝える事ができるのだろうか。ともかく、変化が早すぎる。そういう環境で生活を続けると、どうしても刹那的・浮き草的なムードに流れてしまいそうだ。
やはり、人間たる物は、何かしっかりした原点を持つ事が必要では無いかと感じるのだが、それが叶わないのが現代なのか。
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2008/9/22
蛍が飛び交った頃
うねうねと 小川流れる 田植え時 夕日落ちれば 蛍飛び交う
外ではしきりにコオロギが鳴いている。
それなのに何か蛍の事を思い出す。
ほのかに光る物に対する憧憬があるためか。
昔の田は何となく曲線が多かった。
川もその田に沿って流れてうねうねしていた。
夕方頃になるとそれが一枚の絵になった。
今日、土地改良事業等で田は大体広い矩形をしている。
水路は直線の三面コンクリートになり、水は勢い良く流れる。
蛍の幼虫と餌のカワニナが生育するには流れが早すぎるのか。
反対にうねうねした川の水流にはあちこち淀みが生じる。
やはり、蛍が生息しやすい環境がうねうねした小川にあったのだろう。
父から聞いた話だ。
蛍を沢山とって、川端で野糞をたれて、その上に蛍を放つ。
誰かが、蛍の下の物をつかむと皆で喝采する。
他愛のない子供の遊びだったがそれも昔話になってしまった。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN | 瞬低T | 瞬高T | 瞬風 |
DATA | 217.9 | 283 | 82 | 10554.4 | 9.1 | 15.1 | 3.1 | 12 | 5.2 | 2.8 | 12.5 | 2.9 | 16.1 | 10.2(北北西) |
時刻等℃ | 日 | D | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | ℃ | m/s | H | mm | 00:51 | 14:12 | 16:16 | |
2018年03月22日 伊勢崎(イセサキ) | AMEDASへのリンク |
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