老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:過去記事を読む;我ら小国民にレガシー等要らない;実の父・祖父を語らない前内閣総理大臣の謎;出陣だ ホラ貝吹いて 武勇伝。20200917。

2020年9月17日(木)
昨日は曇り一時晴れ。ざっそう句;出陣だ ホラ貝吹いて 武勇伝。ニンニクを植えようと球根を分離して、大小に仕分けをした。かみさんと雑談。もうじき秋彼岸だというと急遽、墓掃除する事に決まり、午後に墓掃除を済ませた。今回は道具を積んだ手押し車を押して出かけた。痛い方の足が過労気味でふくらはぎが痙攣を起こしそうな予感がしたが起こらずに済んだ。昼過ぎ国会で首班指名が行われて菅義偉が1位となり99代の首相となった。立憲民主党代表は「安倍亜流内閣」と言ったらしいが、アベクローン内閣と言っても大差無さそうだ。それからアベ黒ガスという新語が連想で浮かんでくる。このガス、もしや毒ガスにならなければ良いがと願わざるを得ない。ともかく征夷大将軍とその軍団の出陣式は済んだ。今後の武勇伝が見物だ。

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原ファイル名=「IOB_2020S_Title= Warrior on horseback_シカゴ美術館=default.jpg」
IOB=IMAGES ON Beloved Ones

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老人の寝言:老人の妄想:身辺雑記:田舎老人徒然草:過去記事を読む;我ら小国民にレガシー等要らない;実の父・祖父を語らない前内閣総理大臣の謎

過去記事を読んでいるが、当BLOGは約10年程続いているので、過去を思い出す手がかりにはなる。今回の記事は5年前の安保法制関連法案に関して、二院制について書いている。ともかく、昔の野蛮国に国会ができたのもつい最近だ。国会議員の世襲制が問題になるが、精々三代目までで四代目国会議員はいるのか...。

「歴史の転換:老人の寝言:強行採決は国家による国民の騙し討ちじゃないか?;国会に 神風吹かぬ 特攻隊。1509。(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2015/09/2015-a08f-2.html)。(2015年9月17日 (木))」で、「今回の、安保法制関連法案は、あらゆる面から憲法と緊密な関係がある。一院制なら、すでに安保法制関連法案は成立しているのである。二院制で参議院がある事により審議が深まり、法案の欠陥が晒し出されたのである。 健忘症の日本人でさえ、時間をかけて真剣に歴史と対話する事により、先人たちが築いてきた日本の社会・文化・伝統を再確認する事ができるのである。 憲法で定められた60日ルールも参議院が機能できない場合の、最悪事態への保険ではないか。ここで、強行採決をした場合、その悪影響は計り知れない程大きいのではないかと思う。 国民は、固唾をのんで、国家の行方を見守っている。十分議論を尽くさずに数だけで決めるのは民主国家とは言えないだろう。」と書いた。

帝国議会(WIKIPEDIA:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E8%AD%B0%E4%BC%9A)「沿革:明治初期の自由民権運動、国会開設運動を経て、明治天皇による詔勅「国会開設の詔」が1881年(明治14年)10月12日に表明された。その8年後、1889年(明治22年)2月11日の大日本帝国憲法及び衆議院議員選挙法(明治22年2月11日法律3号)の公布を以て、翌年の1890年(明治23年)に上院である貴族院の互選・勅選と下院の代議士を公選する第1回衆議院議員総選挙(同年7月)が実施され、同年11月に貴族院と衆議院による二院制の第1回帝国議会が開会された。」

普通選挙法(ふつうせんきょほう)(WIKIPEDIA;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%80%9A%E9%81%B8%E6%8C%99%E6%B3%95)とは、1925年(大正14年)、加藤高明内閣によって制定された、成年男子による普通選挙を規定する法律(大正14年5月5日法律第47号)である。普通選挙法というのは通称であり、正確には、1900年(明治33年)制定の衆議院議員選挙法(明治33年3月29日法律第73号)を全部改正して成立した法律である。

明治の衆議院は所得の制限が有り国民には平等の選挙権は無かった。貴族院はまさに身分制度の残滓であった。大正の普通選挙法でも女性には参政権は無かった。男女平等の参政権が実現したのは現日本国憲法に於いてであった。戦後75年になっても、世襲議員の問題は解消していない。

今時、自分の祖父の事を良く知らない国民は多いと思う。自分が生まれる前に、祖父は体が弱く曾祖父より先に死亡したので、祖父の顔すら知らない。最近になって、そんな自分を残念に思う。その点、安倍晋三前内閣総理大臣の祖父は政治家として有名である。

「安倍 寛(あべ かん、1894年(明治27年)4月29日 - 1946年(昭和21年)1月30日[1])は、日本の政治家、木材商[2]。衆議院議員(通算2期。第20、21期)。日本進歩党に所属した。政治家の安倍晋太郎(外務大臣を務めた)は長男。安倍寛信(経営者)、安倍晋三(衆議院議員、内閣総理大臣)、岸信夫(衆議院議員)は孫。妻・静子は陸軍軍医監本堂恒次郎の娘(後に離婚)。 」WIKIPEDIA(安倍 寛;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%AF%9B)

普通の男子なら、外戚の父、祖父より、直系の父、祖父について多くを語ると思うが、安倍晋三前内閣総理大臣の場合は、父、祖父の業績・志を述べる事を封印しているかのように感じて、なぜそうなのかという謎が解けなかった。昨日、内閣総理大臣という職位を離れ一人の国会議員に戻ったが、今後その謎を国民に解き明かす事があるのだろうか。

毎日新聞は、「余録:ことわざに「米屋と質屋は三代続かぬ」という…。;url=https://mainichi.jp/articles/20160209/ddm/001/070/118000c。(毎日新聞2016年2月9日 東京朝刊)」というタイトルで、「ことわざに「米屋と質屋は三代続かぬ」という。まず話は昔のことだと断らねばならないが、貧乏人にうらみを買う商売は長く続かないという意味である。庶民のやっかみ半分の物言いだった」と報じた。

雑談で、三代目の没落が良く話題になる。ふり返ると、政治家でも二代目、三代目は結構多いが、先代を超える業績を残すのは至難の業のようだ。その点、前内閣総理大臣は総理大臣まで上り詰めよく頑張ったと言えるようだ。そのお蔭で一億総国民がそのトバッチリを受けて、苦労や怨念の涙を流したのではなかろうか。あのおっさんのレガシーとは一体何だったのか。オレ様流に言うと妄想そのものではなかったか。オレ様には際限無く膨張したコンプレックスがその推進力だったように妄想されてくるのだ。コンプレックスこそ原子力以上の破壊力を生み出すのだと妄想されてくる。

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項目 日積温 残日 通日 通積温 TA TX TN TD WX SN RN 瞬低T 瞬高t 瞬風
DATA 581.1 104 261 107823.4 24.2 27.1 22.1 5 2.1 0.8 0 22 27.4 5.0(南東)
時刻等℃ m/s H mm 02:13 15:45 20:06
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