2023(皇紀2683年明治156年大正112年昭和98年平成35年令和5年)年6月10日(土)
昨日は雨後曇り。
ざっそう句;アジサイは 何見て咲くか 独り言。
昨日は予定の用事外出。イベント開始前に時間調整で入れていた用事が吹っ飛んだ。休憩スペースで暇つぶし。用事は無事終わり、一緒になった知人からの貰い物を持って帰宅。途中食べ物屋で昼食。田んぼに植えられた花がきれいであった。近くの田圃の田植えは大体終わっていた。庭の片隅にはアジサイとオニユリ?が咲いている。オレンジ一色のみなのでオニユリと思うが、別色のスカシユリもあった筈だ。キジが鳴いていた。近くに停留しているようだ。
原ファイル名=「IOB_20230610_アジサイは 何見て咲くか 独り言.gif」
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身辺雑記:老人の寝言:老人の妄想:近世群馬の人々(1):角田金五郎;「働かず、食っちゃ寝て、たまにギャンブル、嗚呼良い身分だ群馬のヤサオトコ」:20230610。
処分すると言うので、貰ってきた古本の一冊に「近世群馬の人々(1)」(三山文庫9:昭和38年刊)(本書)があった。その人名を目次から引用すると以下の通り。聞いたような名前もあるが、良く知っている名前はほとんどない。そこで当ブログ内での引用件数を調べて見た。今回は角田金五郎からの妄想を綴る。
内田粂太郎(0)
江口きち(0)
金井之恭(4)
桑島定助(0)
佐藤次郎(0)
須永 好(0)
住谷天来(0)
角田金五郎(0)
角田柳作(15)
村上随憲(7)
湯浅一郎(2)
角田金五郎の章の執筆者は大正2年生まれの小井戸哲雄で群馬県社会教育主事とある。WEB情報によると、本書の「小井戸哲雄」に該当するめぼしい情報は無さそうだ。生成AIで「小井戸哲雄」に関する報告を作成したらどうなるか。AIを使ってゴミ情報の大量生産をするより県職員が生産した業績を公表して貰いたい。調べ事をして、検索情報を絞り込んでユクと何と当BLOG記事が出てきてがっかりする事もある。県がAIを積極的に使えと旗振りをして県職員の文書作成能力の低下が心配になる。
上毛新聞は、「生成AIで群馬県 業務効率化全庁活用へ。;url=https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/294929。(公開:2023/6/6 06:00)」というタイトルで、「対話型人工知能(AI)「チャットGPT」などの生成AIについて、群馬県は5日の県議会総務企画常任委員会で、個人情報や機密情報などを入力しないことを前提に積極的に利用することを明らかにした。3月から試行的に利用してきたが、業務効率化に有効と判断したため全庁で利用する。 庁内での利用実績をまとめた活用事例集を5月31日に職員に周知した。あいさつ文の要約や英語など他言語への翻訳、あいさつ文案の作成、アイデアや話題の提案などを掲載している。 ほかに活用時の精度を高めるためのAIへの指示方法のポイント、禁止事項、著作権を侵害していないかの確認が必要なことなども盛り込んでいる。」と報じた。
WEB情報によると、「角田金五郎(読み)つのだ きんごろう;デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「角田金五郎」の解説;角田金五郎 つのだ-きんごろう;1858-1943 明治-昭和時代前期の植物学者。;安政5年5月10日生まれ。苦学して小学校教員となる。群馬師範の佐藤穂三郎にまなび,菌類・苔類の研究で知られた。昭和18年12月30日死去。86歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。」との事だ。
国定忠治の「死没:嘉永3年12月21日(1851年1月22日)」であり、忠治歴を使えば忠治の没後7年、明治維新の10年前に角田金五郎が生まれたことになる。角田金五郎は次男であったが家督を相続することになり、学問に傾倒したようだ。人間、成長時期には知識欲が盛んになるのは当然の理屈だが、江戸時代末期~明治時代初期には教育体制は整っていなかった。身分・金や運、本人の努力がヒトを作った。角田金五郎も師範学校に入り、良き師に恵まれ、教師になったようだが、植物学に開眼してしまい、ついに研究者になってしまったようだ。
「残照雑記:「国定忠治終世の地大戸見学日程」の思い出(3)=上州一の大尽加部安左衛門の墓地(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2013/06/3-404f.html)。(2013年6月30日 (日))」で、「改めて、墓碑の側面の戒名を拡大して見ると、「居士」と「大姉」が並んでいるのが何とか読みとれた。夫婦墓というのは今では珍しいようだが、加部安左衛門墓碑が夫婦墓ならまた、上州人の心意気を伝えているようにも感じる。加部安左衛門を地域一番の大尽まで盛り立てた裏にはおっかさんのように頼りになる女性がいたのかもしれない。(忠治研究家)A(真藤)さんは、加部安は俳句などに現を抜かしていたので身上が傾いてしまったと語っていたのが印象に残っている。」と書いた。
WEB情報(https://www.jstage.jst.go.jp/article/koke/3/10/3_KJ00009029212/_pdf/-char/ja)によると(PDF⇒テキストの誤変換あり)、「小池長壽 : 角 田 金 五 郡 と 尾 瀬 ( NKoike : Kingoro Tsunoda and the Oze moor ) 角田金 五 郎 は 我 が 国 の 蘚 苔地衣類研究 史 を 語 る と き に , 欠 か す こ と の 繊来 な い 民 間採 集家 の 1 人 で あ る ・ 金 五 郎 は 安政 5 年 ( 1858 年) , 群馬 県芳賀村小坂 子 ( 現 在 の 群 馬 県前 橋 市小 坂 子 町 〉 に 生 ま れ , 昭稲 19 年 86 才 で 没す る 迄 の 間同地 を離れ る こ と な く , 自 ら 裏 LLi と 称 し て 足繁 く 通 っ た 赤城 由 を 始 め 幅広 く 日 本 全 国 を 採 集 し て 歩 い た (本職 は 小学校 の 教員 で あ っ た 〉 . 金 五 郎 の 師は安 田 篤博士 (当時 , 仙台 第 二 高等学校 教授) で あ り 蘚苔 地 衣 類 を 始 め 高等植物 か ら各種菌類 に 至 る ま で 幅 広 く教 示 を 受 け て い る . ( 安 田 博士 に も 不 明な も の は 、 蘚 苔 類 に つ い て は 最 初 フ ラ ン ス の Lloyd に , 後 フ ィ ン ラ ン ド の Brotherus に , 地衣 類 に つ い て は 最初 オ ー ス ト リ ア の Zahlbruckner に , 後 フ ィ ン ラ ン ドの Wainio に 依頼 し て い る . ) 金 五 郎 が 採集 した 標 本 ば 数 万 点 に の ぼ る が , 申 で も ’ 我 が 国 で は今 日 に 至 る も金 五 郎 の 採 築 標 本 以 外 に は , そ の 産地 が 知 ら れ て い な い Campylopus akagiensis ( 現 在 は C ・ fragilis の 異名)や , Pseudoleskeopsis tsunodae , Clastobryella tsunodae , Brachythecium tsunodae , Haplocladium tsunodae , Isopterygium tsunodae (残念 なが ち 何 れ . も 現 在 は 他種 の 異名 とさ れ て い る )等 々 の 採 集 者 で あ る 金 五 郎 を 記 念 し て 献名 さ れ た 種類 , 又 地 衣類 で も赤城 ・ 鍋 割 山 で 採 集 され た 種 が Zahlbruckner に ょ り Stereocaulon nabewarien − sis ( 和名 ナ ベ ワ リ キ ゴ ケ ) と 命 名 され るな ど金 五 郎 の 果 した 業 績 は 現在 に 至 っ て も遜色 を き ざ して い な い ,~。又 , 尾瀬 の 開 発 を め ぐ る 状 況 と して は 大 正 7 年 に 関 東 配 電 ( 現 在 の 東 京 電 力 )が ダ ム 化 の 為 に 土 地 を 買収 し水利権 を 獲得 し て い る . 匚関東配電 に よ る ダ ム 化 の 正式 な 案 は 1922 年 一 大正 11 年 に 発表 され て い る (今 井 1983 ) . ]」との事だ。
尾瀬の自然環境保護の基礎研究に角田金五郎の研究が繋がっているようだ。同じようなちめいどの低い研究者に南方熊楠がいるのを思い出した。
「南方熊楠(http://af06.kazelog.jp/itoshikimono/2009/10/post-45b1.html)。(2009年10月 6日 (火))」で、「みなかたくまぐす。知の巨人と言われている様だが、なかなか人(自分)を寄せ付けない。日本の博物学者、生物学者(とくに菌類学)、民俗学者と解説されているが、学問の分野が一般人が興味を持つ分野を大きく超越しているのも一因かもしれない。解説書を読んでもいつも消化不良に終わる。逸話の部分は拾い読みするが粘菌の研究等は皆目分からない。いつ頃から興味を持ち始めたのかもはっきりしない。活動の場所が海外と日本の地方が中心で日本の中央との関係が少なく、弟子も少ない、故にその業績も宣伝されないという事も知られざる巨人でいる一因か。というより、南方熊楠を超える人物がいないので十分な評価もできないという事か。巨人であるがローカル的な存在で終わっている人物がいるという事は勿体ないとも思う。」と書いた。
現役時代、南紀白浜へ観光したことがあるが、南方熊楠記念館を訪問した微かな記憶が残っている。
WEB情報(https://ja.wikipedia.org/wiki/南方熊楠)によると、「南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年12月29日)は、日本の博物学者・生物学者・民俗学者。生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた[1]。そうした調査に基づいて生態学(ecology)を早くから日本に導入した。 」との事だ。
角田金五郎は南方熊楠よりほぼ十年先に生まれている。研究の対象は重なる部分がかなりありそうだ。本章の執筆者・小井戸哲雄は角田金五郎に関する資料や業績の散逸防止や継承を強く訴えている。情報化時代になっても、「巨人であるがローカル的な存在で終わっている人物」が多数いそうで残念だ。
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項目 | 日積温 | 残日 | 通日 | 通積温 | TA | TX | TN | TD | WX | SN | RN |
DATA | 484.8 | 206 | 159 | 45074.3 | 20.2 | 24.8 | 18 | 6.8 | 4 | 0.2 | 26 |
時刻等℃ | ℃ | 日 | 日 | ℃ | ℃ | 16 | 4 | ℃ | 1 | 1.33 | mm |
1年の | 44% | 経過 | AMEDASへのリンク | ||||||||
ダブルカウントに注意(2023年1月3日ファイル作成);黄緑はそのデータ発生時刻(MATCH関数20220116) | |||||||||||
伊勢崎 2023年6月9日(1時間ごとの値) |
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