学校給食の思い出(改題):日々食べて生きる:給食は永遠の課題。081230。

2008年12月30日 (火)

学校給食の思い出(改題):日々食べて生きる:給食は永遠の課題

学校給食が何学年から始まったのか良く覚えていない。午後の授業のためなので多分中高学年になってからだろう。

メニュウと言えばコッペパンに牛乳とおかず程度であったと記憶している。牛乳は脱脂粉乳を水で溶いたものであったようだ。それも、国産のものでなくユニセ
フ?かどこかの援助物資であったらしい。敗戦国として児童の食料支援を国際機関から受けていたのである。

ともかく、学校給食のおかげで日本人の体位が向上したのは事実であろう。給食の時間になると憂鬱になることが一つあった。当時は食器を布袋に入れて持参していた。各自が自分の食器を並べて係りの生徒がその中に盛りつけるのだが、自分の食器とある女生徒の食器がうり二つで、よく間違ったのである。アルマイトの食器であったが親に別の食器を買ってくれとも言えず憂鬱になったのであった。しかし、この憂鬱もいつしか解消した。クラス替えか席替えで間違えが起こらなくなったためであろう。

給食の時間には担任の先生が本を読んでくれた。これは楽しい思い出である。


*************************

2008/12/30

学校給食の思い出

学校給食が何学年から始まったのか良く覚えていない。午後の授業のためなので多分中高

学年になってからだろう。メニュウと言えばコッペパンに牛乳とおかず程度であったと記憶し

ている。牛乳は脱脂粉乳を水で溶いたものであったようだ。それも、国産のものでなくユニセ

フ?かどこかの援助物資であったらしい。敗戦国として児童の食料支援を国際機関から受け

ていたのである。ともかく、学校給食のおかげで日本人の体位が向上したのは事実であろ

う。給食の時間になると憂鬱になることが一つあった。当時は食器を布袋に入れて持参して

いた。各自が自分の食器を並べて係りの生徒がその中に盛りつけるのだが、自分の食器と

ある女生徒の食器がうり二つで、よく間違ったのである。アルマイトの食器であったが親に別

の食器を買ってくれとも言えず憂鬱になったのであった。しかし、この憂鬱もいつしか解消し

た。クラス替えか席替えで間違えが起こらなくなったためであろう。給食の時間には担任の先

生が本を読んでくれた。これは楽しい思い出である。

*************************
追記(2017/11/05):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
原文を残して、書式変更のみで記事を書き直した。今回はフォントサイズを大に設定してみた。読み易い、印象に残るetcを考えると編集にも結構時間がかかる。設定には、BLOG-EDとブラウザの両方があり、混乱して終わっているのが実情だ。


コメント(0)