2008/12/29
影絵
電灯の光を手で遮ってその影を障子に投影する遊びをした。他愛のない遊びであったが、狐
は指をこうして向きをこうすると、ホラこうなる。やって見ろ。犬はこうする。覚えているのは、
この二つしかないのだが、白熱電灯の光の影が作る影絵は昔の家族の団欒の一こまであっ
た。この遊びは特別に用意する道具もいらない。てもちぶたさの時間はある。ちょっとした余
暇を潰すあそびだったようだ。影といえば屋外では影踏みという遊びもした。これも単純で説
明の余地の無い遊びだ。生活が豊かになると照明も明るくなった。影は意識されにくくなった
のであろう。新しい遊びが生まれ、古い遊びは消えて行く。遊びはそれ自体が目的で強制さ
れれば遊びではなくなる。今年は不況の冷たい風が荒れ狂っている。昔も不況があり、会社
は仕事もないので、構内の草むしりや清掃をしたという話を聞いたことがある。仕事も遊びの
心境にまで高まれば言うことはない。いやな、苦しい仕事でもあれば何とかなる。仕事もな
くなると、遊びの心理的ゆとりも無くなりやすい。しかし、他愛のない遊びで自分を取り戻すこ
とも大切なようだ。遊びとは自分が自分の主人になることであろうから。