2008年12月14日 (日)
幼稚園の思い出(改題):寝言老人が幼少の頃:幼児教育の重要性とその原点
幼稚園のことになると記憶は曖昧である。小学校の中にあった、古い木造の講堂の一角にあったような覚えがする。その後、校内に新しい園舎が建てられそちらに移ったのではないか。
現在は小学校から出て単独の幼稚園になっている。覚えているのは、登校拒否ならぬ、登園拒否。これで両親を悩ませたのではなかったかと思う。登園拒否の理由も定かでないが、農家なので衣服がみすぼらしいことなども影響していたかもしれない。
制服・制帽があったのかも覚えていない。先生は黒っぽいめがねをしていた女の先生だったように思う。童謡の切れ端を覚えているので先生が弾くオルガンで遊戯をしたりしていたのであろう。
講堂の前には二宮金次郎の像が立っていた。白っぽいので石かコンクリート製であったように思う。
今日では幼児教育の重要性は認識されているが当時は労働力を確保する為の保育園的な機能もあったのかもしれない。
ともかく幼稚園生活を無事送れたので小学1年生の生活はスムーズであったと思う。
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2008/12/14
幼稚園の思い出
幼稚園のことになると記憶は曖昧である。小学校の中にあった、古い木造の講堂の一角に
あったような覚えがする。その後、校内に新しい園舎が建てられそちらに移ったのではない
か。現在は小学校から出て単独の幼稚園になっている。覚えているのは、登校拒否ならぬ、
登園拒否。これで両親を悩ませたのではなかったかと思う。登園拒否の理由も定かでない
が、農家なので衣服がみすぼらしいことなども影響していたかもしれない。制服・制帽があっ
たのかも覚えていない。先生は黒っぽいめがねをしていた女の先生だったように思う。童謡
の切れ端を覚えているので先生が弾くオルガンで遊戯をしたりしていたのであろう。講堂の
前には二宮金次郎の像が立っていた。白っぽいので石かコンクリート製であったように思う。
今日では幼児教育の重要性は認識されているが当時は労働力を確保する為の保育園的な
機能もあったのかもしれない。ともかく幼稚園生活を無事送れたので小学1年生の生活はス
ムーズであったと思う。
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追記(2017/12/04):記事整形、過去BLOG再読、印象・コメント等
タイトル等を変更。
BLOGを本格的に書き始めた初期の頃の記事である。9年程前の記事でこの間の社会の変化も大きい。「保育園落ちた日本死ね」という言葉にも社会の大きな反響があった。既に、幼児の段階から、日本人は選別される危機に直面しているのが現実なのかも知れない。
は、「NEWS 「保育園落ちた日本死ね」ブログの本人がいま伝えたいこと「どの党に所属していようが関係ない」(このサイトへのリンク);http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html( 笹川かおり: | )」というタイトルで、「「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名のブログが大きな注目を集めている。政府の「1億総活躍社会」のかけ声とは裏腹に、なかなか解消しない待機児童の問題を指摘する内容で、ネット上には同じ境遇の人たちから共感の声が相次いだ。ハフポスト日本版は3月中旬、30代前半の女性というブログを書いた「保育園落ちた人」に、いま、何を思っているのかメールで話を聞いた。 匿名ブログが投稿されたのは、2月15日だった。」と報じた。
この記事を再読しつつ、幼稚園の担任は女性のA先生、小学校一年の担任も女性のS先生と、担任の先生を思い出しているが、明らかに男性の担任が少ないのに気付いた。これは、幼児を扱うのに女性が適しているからと言う配慮の故か。
実は、男性教員が少なかった理由に、徴兵されて戦死した教員が多かったのではないかと今になって感じている。これは終戦直後に生まれたというヒガミの反映か。クラスを受け持つ担任には気力・体力と経験が不可欠だ。そういう年齢層の教員は、徴兵年齢と重なる。真相は不明だが、幼稚園~小学校の担任に男性が少なかったという記憶が蘇って来た。
「平成26年度 伊勢崎市の教育(伊勢崎市教育委員会)」によると、「1890(M23. 5.12) 伊勢崎尋常小学校に予修科付設(幼稚園のはじまり)。」とあり、伊勢崎市の幼児教育が明治の中頃まで遡るのが分かる。
古い木造の講堂は撤去され、その南方に新しい講堂が建てられている。本記事以後の発掘調査で、三軒屋遺跡の一部である旧講堂跡地かその周辺から、儀式に使ったと推測される幢竿(どうかん)と呼ばれる旗を立てるための斜め向きの穴が検出されている。
自分がお世話になった幼稚園の正確な歴史は知らないが、多数の卒園生を世に送り出している筈だ。
当BLOGのサブタイトルは、「失われた時を求めて | 遠くはるかな記憶と共に | いとしきものを訪ねる | 果てしのない心の旅 | 」である。記憶を遡ろうとあがいても、精々幼稚園頃までが限界である。記憶を及び戻す、記録や遺品・遺物があると実に有り難く感じる。
前記、「平成26年度 伊勢崎市の教育(伊勢崎市教育委員会)」は参考になった。伊勢崎市のHPからDL可能である。