行者山の祭

2008/12/16

行者山の祭

飄々と彷徨う霊を導きしかの老僧も一人旅立つ

毎日、一つの事を行うには大変な努力が要る。それが人のためというと尚更である。最近遷

化された近くの寺院の老住職は毎朝の読経はおつとめとして欠かした事がなかったと聞い

た。真冬でも祭壇を清掃し、檀家の人々等の幸せを願い読経をすると身体が温もってくると

のことであった。行者の姿を見る思いであった。地域内に小さな山が三つあった。その一つ

を行者山といい、幼少時にはお祭りのような行事が行われていた。灯籠といって、各戸に絵

などを描いた灯籠を出品してもらい地域の余興としたものらしい。灯籠が並べられた山を通

る道路にはアセチレンガスを灯した夜店も出て、見物客でにぎわった。これも、終戦後の娯

楽の少ない頃の地域の活性化として企画されたものであろう。いつしかこの行事も消えてい

った。自分にとって「行者」とは何か今も謎である。大泉町の西小泉駅の近くに小さな遺跡ら

しい物があり、そこに説明版があった。うろ覚えであるが、そこは地域住民の救済を願って行

者が即身仏になる行を行った所らしい。最後の即身仏になったのは仏海上人と言われ明治

36年(1903)とされている。江戸時代末期になると飢饉や天変地異が目立った。ひょっとし

たら、当地の行者山にも地域住民の救済を願って即身仏になる行を行った行者がいたので

はないか。行者山という固有名詞に昔の地域住民の記憶が刻まれているのではないかと思

われる。行者山は本来は古墳であったようだ。その後は行者の事跡を祭る祭礼の場となり、

灯籠の行事につながったようだ。しかし、いつしか、灯籠の行事も無くなり、山さえも切り崩さ

れ、石棺の残骸が残っているだけとなっている。 

自ずから往生かなわぬ衆生なりかの老僧に低頭合掌