天道念仏行事の廃止

2009/1/22

天道念仏行事の廃止

今のこっている記憶と言えば、太陽が昇る朝から沈む夕方まで一日中「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えつつ鉦(かね)を叩く町内の行事であった。子供達も交代で鉦たたきをした。

<てんとうねんぶつ>といった。この行事もいつしか廃止されてしまった。<ねんぶつ>が宗

教だから町内で行うのはおかしいという議論もあったのかもしれない。自分も鉦を叩きに会

議所に行ったことを覚えているがこの行事の意味や由来は分からない。「ナーンマーハイ ダ

イハンブ」と唱えている言葉の意味も分からない。太陽を中心とする天(自然)の運行が順調

であり、五穀豊穣を願った行事であったようだ。従って「ナーンマーハイ ダイハンブ」とは願

い事がかないますようにという呪文ということになるのだろう。これが仏教の「南無 阿弥陀

仏」と関係するのかも知れない。WIKIPEDIA の「念仏」の踊り念仏の

項に

「踊念仏
踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。 その起源は平安時代中期の僧空也にあるといわれる。

鎌倉時代、時宗の一遍が信濃国の伴野(長野県佐久市)を訪れたとき、空也に倣って踊念仏を行った。同じ時期に九州の浄土宗の僧・一向俊聖も一遍とは別に踊念仏を行った。それ以来、時宗・一向宗(一向俊聖の系統の事で浄土真宗とは別宗派、後の時宗一向派)の僧が遊行に用いるようになり全国に広まった。

一向俊聖より興る天道念佛(もとは天童念佛と書いた)。」

天道念仏の時に太鼓を叩いたかは定かでない。地方により天道念仏踊りという形で残ってい

る無形文化財もあるようだ。ともかく「天道念仏」という行事が始められてから終焉するまでの

歴史を辿ってみると、干魃、洪水、飢饉等人力で対処できない自然の猛威があり、それに対

処するために「天道念仏」が行われてきたのではないかと思われる。今日、科学や社会の進

歩で自然の猛威は克服されてきている。「天道念仏」という行事の御利益は不要になった。

振り返って見ると、「天道念仏」という行事は過去の自然の猛威を伝え、万一そのような自然

の猛威が再来した時に、地域の住民が共同で対処しようとする社会的な機能を持っていた

のかも知れない。ともかくこういう地域の行事は必然的に住民の参加と交流を要求するであ

ろうから。