2009/1/20
古い記憶の再生
義経は兄頼朝の疑いを受け、山伏の姿に身をやつし奥州指して落ちて行き、安宅の関
に・・・・・・。母が機嫌の良いときに口ずさんだせりふであった。学校の学芸会か何かがあっ
た時、母がその劇のナレーターをさせられたようである。無声映画の弁士の様であったが、
口ずさんだのは劇のハイライトの極一部であった。間違ったり、とまどってはならないと一心
に暗記したらしい(と今推測している)。ともかく、十代で暗記して八十代までその一部を覚え
ていた。今、母の記憶をプレイバックしてみると、歌舞伎の勧進帳の一場面であったようだ。
天皇の名前は神武、綏靖、安寧、・・・・とこれも代々の名前を丸暗記していた。しかし、代々
の天皇名はいつしか言わなくなった。記憶を保つには常に出し入れした方が良いようだ。D-
RAMや語り部も同じ様な要素をもつようだ。記憶はいつか使うかもしれないために保持され
るようだ。使う必要が無くなれば捨てても良い。頭脳の中に情報として残すのでローコストで
効率的なリユースシステムだ。 自分が文字を読めるようになって、小学校1年の国語の教
科書の最後の部分にあった教材が多分「こぐまのぼうけん」というよみものであった。人里か
らはなれたところにこぐまがすんでいたとうような書き出しであった。何回も読んで少しは暗記
していたのだが、いざ思い出そうとしたら全く出てこないので愕然とした。インターネットで探し
たがまだ巡り会っていない。教科書の目録やライブラリーがるようなのでそれを調べれば手
がかりがつかめるだろう。とりあえず、以下に関連していそうな情報があった。
http://www.school.ikeda.osaka.jp/hatano-es/enkakuphoto/04.html
教科書の「こぐまのぼうけん」を劇にしたのであろうか。当時のなつかしい写真もあった。「こ
ぐまのぼうけん」を読んだ生徒数はかなりあったろう。しかし、古い情報は徐々に散逸してゆ
く。ともかく、再生された古い記憶で人と人のコミュニケーションがとれればその記憶の役割
は果たされたことになるだろう。