小学校の体罰

2009/1/17

小学校の体罰

本日、阪神淡路大震災14年目を迎えた。入院中の父は関西地方の戦友の消息が気になり

母が必死に連絡をとった。ようやく無事が確認されてほっと一息ついた。その戦友は帝国大

学卒業。父は尋常小学校卒業。天と地の差である。しかし、戦場では学歴の差もなく、同じ釜

の飯を食った戦友の結びつきは強かった。とりわけ、その戦友は戦場で片足を失ったが、そ

れを苦とせず会社の社長まで上り詰めても、ずっと同じ戦友としてのつき合いをしてくれた事

に誇りを持っていた。軍隊という組織の中にあって、戦友とは同じ運命を背負った仲間であ

り、苦楽を共にした体験が戦後も固いつき合い続けた要因であったであろう。

学校の体罰に関しては色々議論がある。教育と言えども、最初は教育ができる状態を作る

必要がある。言葉で生徒を指導できればそれに越したことはないだろう。言葉だけではどうし

てもうまく進まない時に体罰が使われるのであろう。叱ると尻を叩くは教育以前のしつけの問

題かもしれない。体罰はあくまでも不適切な行動の矯正手段であろう。従って、教育の段階で

は叱ると尻を叩くから、諭すと正すという手段を中心にするのが妥当なのかもしれない。これ

を本気で実行するとなると大変根気と手間のかかる仕事になる。自分の小学生時代を振り

返ってみて、殴られたりする暴力的な体罰を受けた記憶はない。宿題を忘れたり、質問に答

えられない時は立たされた事があった。廊下でボール遊びをして窓ガラスを割って叱られた

時もあった。いたずらをした時は罰はもう少し厳しくなり、水の入ったバケツを下げて立たされ

たり、拭き掃除をさせられた。結果論からいえば、自分もなぜそうさせられたか分かったの

で、先生を恨んだり、先生に感謝することもなかった。今から思うと諭すと正すという範囲で寛

大な処置であったかもしれない。場合によれば拳骨の一つ二つはもらう可能性があった。敗

戦直後の教育環境の中で体罰への反省や抑制意識もあったかもしれない。