2009/4/12
失敗は楽しいか
個人でも、団体でも失敗の問題は常につきまとうであろう。エジソンの発明に関する有名な言
葉から類推するとエジソンが試みたことのほとんどが失敗だったと思われる。しかし、その失
敗を記録し、整理して、不具合点を分析して、次の実験を行うことにより最終的な満足すべき
成果に到る。失敗の一つ一つが投資であり、実行によって得られる物がそのリターンと言え
るであろう。ところが団体の場合は、出来るだけ少ない投資で出来るだけ多くのリターンを求
めることになりやすい。上に立つ人はそれが自分にも団体にも合致すると思う。失敗したと
き、叱られて萎縮するだけでは何事も次の事がうまくゆかない。そこで、失敗例を集めてその
失敗体験を共有したら有効であろうということになりマニュアル作成等も行われる。これは有
る程度の効果ではある。しかし、なかなか続かない。失敗例を提供する人が少ないのであ
る。失敗を公にするのは気が引ける。良い子になりたい人もいる。自分の失敗を公表して良
い子になるのか、秘匿して良い子になるのか。大失敗の場合は報告書の提出をさせられる
場合もある。そんな時は適当に書いておこうということになる。推進する人もいつしか熱意を
失い、時には異動でその仕事を離れる。仕事はうまく引き継ぎされないで終わる。失敗の活
用企画の失敗である。結局、失敗の記録は、実行者が自分で自分の為に客観的かつ主観
的に分析したとき最も役立つようだ。主観的とは実行した人の熱意や思い入れ等が無いと無
意味な事が多いからである。発明が個人のこだわりや発想に依存することが多いのも何とな
く納得できる。凡人は小さな挑戦をして小さな失敗があってもそれを上回る小さな成功が得ら
れればそれでよいのではないか。そんな事を思いつつアシタバの種を播いた。まだ、一度も
発芽に成功していない。