2009/5/18
針立て試験
集積回路の開発では設計通りに動かない場合がある。対象が肉眼では見えない。顕微鏡下
で不具合の部分を突き止める必要がある。これなら動くというのが設計図である。現実は設
計図通りにできない。設計図はあくまで理想な姿を現した抽象的なものなのである。動かな
い状況は回路の症状として現れる。この隠れた不具合点をあぶり出すのが色々な試験であ
る。最初に顕微鏡下に集積回路の配線を見たとき、自分にこんな仕事ができるだろうかと思
った。幸いパターンを作成する仕事はパターン設計の専門技術者が行った。回路が動かな
いとなると回路設計技術者とパターン設計の技術者が両者の立場から協力して検討しなけ
れば効率的に解決できない。二人三脚と同じようにこの技術者とは長いつきあいになった。
回路に接続する針を立てる装置をマニピュレータと呼んでいた。X-Y方向に針を微妙に動か
す装置である。針の一端にはテスターやオシロ等の測定器の探針をつなげる。場合によって
はこの針で配線を切ったりつないだりする。最初にマニピュレータを使った頃は顕微鏡の倍
率もマニピュレータの精度も低かった。汗をかきながら根性で操作した。肉眼では見えにくい
針先がまるで丸太のように感じられてくる。集積度が上がってくるとマニピュレータも顕微鏡も
高精度になった。立てる針も増えた。今となっては、こういう細かなかつ泥臭い仕事に耐えら
れるかと思ったりする。しかし、最近接木をしているとその接合面がどうなっているのか顕微
鏡でしきりに見たくなる。ともかく肉眼で見えないことも顕微鏡で見える。顕微鏡がなくても一
度その操作を習えば、肉眼で見える限界の下に別な世界がある事を実感できる。技術の世
界ではこのような強引な物理的な手段が使える。裁判員制度が間近にスタートする。裁判の
対象となる現象を特定することには多くの困難が伴う。その現象は完全に特定でき、動機と
原因と結果を完全に解明する事は可能なのか。裁判員は裁く側に属する。裁かれる側に裁
判員は不要なのか。人間の世界の問題は一挙に複雑系の様相を呈する。そんな中、本日一
つの結論が出る。因果関係を特定するだけで大仕事であるのに、その刑罰を決めることは
更に心理的な負担の大きな仕事であろう。罪を贖うべきべき人もおり、救済を受けるべき人
もいる。ここに第三者が割り込むのだ。その第三者になる可能性が自分にもある。ともかく、
ある人が裁判員になるのは百年に一度くらいという社会の到来を願う。