2009/6/28
蒸気機関車
蒸気機関車と言えばあの煙と汽笛と色を思い出す。もう一つ思い出すのは単線の駅で事故
防止のために受け渡すタブレットであった。その受け渡しをいつも決まった位置で行っていた
のは制服や帽子の徽章から駅長か助役であったのではないかと思う。入ってくる列車と出て
行く列車を姿勢を正して指差し確認している姿には何か頭が下がる思いがした。更に思い出
されるのが線路に沿って設置されていた鉄道通信用の電柱である。電線が何本も敷設され
ていた。この専用電線で駅と駅の連絡が為されたのであろう。ともかくこういうソフトとハード
の体制で蒸気機関車の運行の安全が保たれていたのであろう。朝の時間帯は通勤通学の
利用客でかなり混んでいた。着膨れしている冬は出入り口の周辺は身動きが出来ない位に
なった。網棚に鞄を乗せてから本などを読んでいた。どんな本を読んだのかはもうほとんど忘
れている。ふと外に目を移すと萩原朔太郎の詩の世界があった。車両を牽引する機関車も
蒸気、ディーゼル、電気と変わってきた。駅舎の佇まいだけが往事の雰囲気を残している。こ
の駅舎も風前の灯火になっているようだ。地方都市だったからこそこの駅舎が今まで生き延
びてきたのであろうか。余りにも遅れた高架化。高架の効果を十分発揮させる前に町自体が
衰退し掛けている。そこに住む人も更に高齢化が進む。あまり金を掛けず身の丈にあった高
齢者の住みやすい町作りが必要かもしれない。そいう視点から旧来の駅舎を残すという選択
枝は無いのか。