老爺心とは?

009/6/17

老爺心とは?

自分が幼少期を過ごした終戦直後は大家族であった。3~4世代が同居していた。労働力と

して働ける者は働く事が第一の仕事であった。母親の子育ても第一の仕事に出来なかった

のが現実であった。子守も人手が足りない農家では近所の娘さんに頼んだりした。我が家で

は母、祖母、曾祖母の三人が手分けして数人の子供の世話をした。自分の子守を担当した

のは未だに我が家の最長寿記録を保持している曾祖母であった。いま振り返ると、曾祖母が

高齢で自分が幼少という組み合わせが丁度鳥のすり込み行動のようで、曾祖母の後をよち

よちついてまわっていたようだ。曾祖母も親鳥が刷り込みのヒナを守るように自分を守ってく

れたようだ。かくて、かってはおばあちゃん子と言われた事もあったが、これこそやむを得な

い事情により...という状況であったようだ。ともかく、当時はそこに自分を守ってくれるシェ

ルターがあったというのも事実であろう。会社生活で、時には程度を越えて本人の為を思い

老婆心から忠言をのたまったこともあった。老婆に大変お世話になった事を思い出すと老婆

心にも深い味わいがあると思われた。しかし、大抵は忠言を受ける者は叉叱られた位にしか

思わなかったのではなかろうか。ある人からは、そりゃー、老婆心ではなく老ジー心だろうと

からかわれた。今日、老人(社会の経験者)の知識や体験の価値が見過ごされている。会社

では親にあたる上司は部下に当たり前な事は忠言なぞたいしてしない。その結果、基本のき

が見過ごされているのも事実である。こういう場面で爺さん相当の人が出てきて当たり前の

事を教える事には現在でも意義があるだろう。自分が開発業務マニュアルを書いた時はまさ

にそのような気持ちであった。