2009/8/12
技術史
大学の授業の内容は講義、実習、ゼミ、研究等色々なスタイルがあった。また、内容的には
一般教育と専門教育に分かれた。前者は1~2年に行われた。一般教養の評価は色々ある
が、自分としては高校までに学べなかった科目を学ぶ良い機会であったと思っている。法
学、社会学、倫理学等人文科学系の講義も受けた。一方、専門教育の講義は古色蒼然とし
て余り面白みがなかった。それは主に強電関係が多かった為であろう。交流理論、回転機、
送発電工学等であった。電気工学といえば強電がメインで、その学科を選んだのだから仕方
なかった。弱電関係では真空管、トランジスタ、通信工学等も学んだ。結局自分は弱電の方
に向かった。しかし、講義が脱線して教授が日露の戦車の違いや戦争論の話になると耳が
そばだった。戦車の重量、構造は圧倒的にロシア製に軍配が上がったとか、戦争は兵器の
蓄積を消耗するために起こるとか余り聞いたことがなかった。戦車は軽量ならば燃費も資材
費も少なく低コストになる。ロシアの戦車はその逆だ。しかし、勝つためにはどうか。軍備の
蓄積が大きくなると戦争になるという考えは理屈とは別に現実性があった。兵や兵器を自由
に使える立場の人間はそれを使う誘惑につねに駆られているという見方は空論ではないだ
ろう。当然として今使われている技術も色々な経過を辿って実用化されているのに興味が湧
き、技術史に関心を持ったのもこの頃からであった。核兵器も自然の中で核分裂をしている
物質が巨大なエネルギーを放出するという事実の発見から、それを人工的に起こして使おう
とする誘惑に起源を発している。核兵器もダイナマイトと全く同じ自然現象に基礎を置いてい
る。真理に良い悪いの色は着いていない。それを何に使うかは人間の問題である。