2009/9/2
食料不足
大正9年:55,963千人、昭和10年:69,254千人。日本の総人口である。敗戦に到る昭和の
20年間の様子を知る事が少ない。忌まわしい過去は思い出したくなくなるのが人情かもしれ
ない。しかし、歴史はその連続性の中で理解してこそ意味があるようだ。かって、産めよ増や
せよという人口増大運動があった。人口が多ければ国力も強い。現在でも人口減少が国力
低下と見られている部分があると思う。人口が増えれば増えた分の食料を追加確保する必
要がある。食料増産が叫ばれた。これは戦前も戦後も同じであった。満州や南米に新天地
を求めた人もいる。ともかく食料が大切なことはそれが逼迫して初めて気付く。自分が育った
時期は食うことが何とかできるようになり、第一次産業から第二次、三次産業へ労働力が移
行する時期でもあった。今後の農業は商業経済に巻き込まれ、大規模化が避けられないと
いう話をラジオ等で聞いて、そうなると農業の将来も危ないと思った。結局自分も農業を捨て
て工業に向かった。今日、生産も流通も消費も全て分断されてすべてあなた任せの世界にな
ってしまった。最近、大正用水史という本を読んだ。長い間、課題であり、農民が期待してき
た灌漑用水の工事が戦前の食料危機を目の前にして突貫工事で始められた。しゃべるとも
っこの人海戦術で、働けるものが大勢駆り出された。なんとか完工したが戦力にはならなか
った。しかし、戦後の復興には大きく役だった。これにより、広大な水田が恩恵をうけて戦後
の食糧難の解消に大きく寄与したのだが、いまこの水田さえ将来が不安定になっている。手
を打てるとき手を打たなかったのは人災としか言いようがない。トイレットペーパー騒動どころ
の騒動でない騒動が起きたことは歴史が語っている。