2009/9/1
麦踏み
わら一本の革命という本がある。自然農法を実践した福岡正信氏の著書である。農産物が
自然の論理の上に成り立っていることには疑いがない。しかし、人間が自然に介入しないと
作物が育たない。作物自身が人間により独り立ちできないように飼い慣らされてしまってい
る。自然農法も深い自然の理解と実践の上に成り立っているので、そのまねごとではうまく行
かないとさとった。昔は農業資材も自給自足した物が多い。一度、敷きわらとして使うために
麦を播いた事があった。結局、実った麦の穂は使う事がなかった。鶏でも飼っていればその
餌に使えただろう。今年は麦作農家から麦わらを貰えたのでマルチ材料等に使っている。と
もかく、現在は動物農家と植物農家に分かれて排出される物資を循環する事も困難になって
いる。ふと、思い出したのが幼少時の麦踏みの事だ。稲の刈り取りが終わった後に麦を播
く。農地を有効に使うために二毛作の後作に麦が作られていた。麦がしっかりと生育するの
を助けるため麦踏みをした。数㎝に育った麦の列を少しずつ丹念に足で踏んで行く。対象が
一本一本の麦であるから踏むすき間を開けてはならない。逆に麦を余り傷めても生育の障
害になる。適当にやる必要があった。最初は足踏みであったが、その後はコンクリートのロ
ーラーを使った。丁度北風が吹く真冬が麦踏みの季節であった。風に向かって進むときに寒
さがこたえた。このような単純だが少しでも収量を上げるため多くの努力をした。その麦も採
算が合わないと作付けが減っている。